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「長距離王国」旭化成陸上部 信号なし片道20キロ、未舗装の海岸コース……宗猛氏「多彩なコースが強みに」

1978年の別府大分毎日マラソンで優勝した宗茂さん(右)と2位に入った宗猛さん。茂さんの2時間9分5秒6は、当時日本最高記録(世界歴代2位)だった

 宮崎県延岡市を拠点に活動する旭化成陸上部は、今年度で創部73年目を迎えた。3連覇中の全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)では歴代最多の24回の優勝を誇り、五輪でも多くの代表選手を輩出。地域の声援を受け戦っている。なぜ「長距離王国」とも呼ばれる強豪を築くことができたのか。宗猛総監督(66)ら関係者の話を紹介しつつ、その秘密を探った。

     ――旭化成陸上部は終戦間もない1946年創部。トラック、フィールドの各種目で多くの選手を輩出し、1960年代ごろからは長距離種目に重点を置くようになる。

     陸上部の50年史「激走」によると、1947~57年に監督を務め、礎を築いた故黒田義久さんが選手に厳しい練習を課し世界を目指したという。「(黒田さんには)長距離は、努力すれば必ず成果がある、という考えがあった。(中略)短距離・跳躍・投てきというのは、持って生まれた素質に加えて、体力的にも日本人には限界がある」(50年史より)。当時から「世界戦略」があったようだ。

     70年代に入り、大分県立佐伯豊南高から入部した双子の宗茂、猛兄弟の活躍で全国的な注目を浴びた。旭化成に入社した宗兄弟はすぐに頭角を現す。入部2年目の73年、兄弟はそろって初マラソンとなる延岡西日本マラソンに出場し、茂さんが2時間17分28秒6で優勝、猛さんが18秒差の2位となり、双子でのワンツーフィニッシュを達成した。

     宗猛さん この記録がその年の国内10傑に入り、「マラソンでもっと良い記録を出したい」「五輪に行きたい」という思いが強くなった。旭化成に入ったのは、高校の恩師が「いろんな企業と会って話したが、旭化成が君らの性格に合う」と言われたから。僕らはどこでも良かった。

     ――延岡周辺には、祝子(ほうり)川沿いの片道20キロ信号なし(当時)の通称「オリンピアロード」▽アップダウンの激しい遠見半島▽未舗装で体幹や心肺機能が鍛えられる長浜海岸のランニングコース――がある。宗兄弟はそこで練習に励んだ。

     宗猛さん 選べるコースが多彩なことは延岡の強み。30キロでいいと言われても40キロ走ったり、設定ペースよりも上げたり。スタッフに逆らって、先輩からも「生意気だ」とよく怒られた。今では先輩から「あの練習をしたから、あの実績があるんだな」と言ってもらえる。

     ――茂さんは78年に日本選手初の9分台となる2時間9分5秒6を記録すると、猛さんが83年にこれを超える2時間8分55秒をマークした。76年には茂さんがモントリオール五輪に出場。80年モスクワ五輪は兄弟で代表になりながらも日本のボイコットで幻となり、84年ロサンゼルス五輪に兄弟で出場し猛さんが4位入賞を果たす。

     駅伝では78~83年の間に全日本実業団対抗駅伝6連覇を達成。宗兄弟の存在は、レースはもちろん練習や日常生活も手本となり、世界を舞台に活躍する後進たちの精神的な支柱となっていく。

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