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「明子さんのピアノ」は1945年8月6日、広島原爆の爆心地から2・5キロの民家にあった。愛用していたのは当時19歳の女学生、河本明子さん。彼女は市内で建物疎開の作業中に被爆し、翌日亡くなった。
爆風で無数のガラス片が突き刺さったアップライトピアノはしばらくそのままだったが、被爆60年を機に修復され、あの日を今に伝える被爆遺品として平和イベン…
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残り260文字(全文432文字)
「明子さんのピアノ」は1945年8月6日、広島原爆の爆心地から2・5キロの民家にあった。愛用していたのは当時19歳の女学生、河本明子さん。彼女は市内で建物疎開の作業中に被爆し、翌日亡くなった。
爆風で無数のガラス片が突き刺さったアップライトピアノはしばらくそのままだったが、被爆60年を機に修復され、あの日を今に伝える被爆遺品として平和イベン…
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