竹島(島根県隠岐の島町、韓国名・独島)への航路を示した日本地図としては最古とみられる「日本志山陰部隠岐国(にほんしさんいんぶおきのくに)地図」が見つかった。東京の国立国会図書館所蔵の資料を精査して発見した舩杉力修(りきのぶ)・島根大准教授(歴史地理学)は「竹島を自国の領土と捉えていたことを示す貴重な資料」としている。
地図は縦77センチ、横129センチで、江戸時代中期の1752(宝暦2)年に地図学者、森幸安(こうあん)が作成。隠岐の島町の「福浦湊」の北西方向に、江戸時代は「松島」と呼ばれていた現在の竹島があり、2日間で到着する旨が記載されていた。当時は竹島と呼ばれていた現在の韓国・鬱陵島(ウルルンド)から「高麗を見ることは出雲から隠岐を見るほど近い」という内容もある。
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