60年、消えぬ「痛いよ」…沖縄・宮森小の米軍機墜落 元教諭が描く不条理

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60年前の記憶をたどりながらキャンバスに向かう伊波則雄さん=沖縄県読谷村の自宅アトリエで2019年6月26日午後0時24分、平川昌範撮影
60年前の記憶をたどりながらキャンバスに向かう伊波則雄さん=沖縄県読谷村の自宅アトリエで2019年6月26日午後0時24分、平川昌範撮影

 沖縄県石川市(現うるま市)の宮森小学校に1959年、米軍ジェット機が墜落し、児童ら17人が亡くなった戦後の沖縄で最大の米軍機事故から30日で60年となる。事故直後に近くの中学校教員として現場に駆けつけた伊波則雄(いは・のりお)さん(81)=読谷村=は悲惨な事故の実相を伝えようと今年、3作目の油彩画を完成させた。全国の米軍専用施設の約7割が集中し、米軍機事故が後を絶たない沖縄の現状を作品を通して知ってほしいと訴える。

 伊波さんの記憶は昨日のことのように鮮明だ。当時、宮森小近くの中学校に勤めていたが、2時間目の授業を終えた後、音を立てて降下する米軍機に気づいた。思わず「これは」と声が出たのと「ボーン」とごう音が響いたのが同時だった。

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