ハンセン病勝訴、母の命日に…抱きしめてもらえず、抱きしめられなかった

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集会に参加した奥晴海さん=熊本市の熊本地裁前で2019年6月28日午後0時51分、田鍋公也撮影
集会に参加した奥晴海さん=熊本市の熊本地裁前で2019年6月28日午後0時51分、田鍋公也撮影

 ハンセン病家族訴訟の原告の一人の奥晴海さん(72)=鹿児島県奄美市=にとって28日は、元患者だった母の23回目の命日と判決が重なった特別な日になった。家族として受け続けた偏見や差別に、母を憎んだこともあった。国の責任を認めた勝訴判決に「母の墓前にいい報告ができる」と涙ぐんだ。

 4歳の時に両親が熊本県合志市の菊池恵楓園に収容され、園の近くの、収容された親の子を預かる「龍田寮」で暮らした。当時、患者の子供は感染の恐れがある「未感染児童」と呼ばれた。寮から地元の小学校への通学が認められると、小学校の保護者らが反対運動を展開し、石を投げつけられることもあった。

 小学2年の時に奄美の親戚宅に預けられたが、暮らしは貧しかった。4年の時に父が病死。その翌年に母が奄美にある奄美和光園に転園すると、船と徒歩で片道約4時間かけて通った。差別とつらい生活に母を恨んでいたが、学校の長期休暇には、こっそり園に滞在した。母が恋しかった、というより、世間の偏見差別から逃れるためだった。

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