メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

ALL FOR 2020

東京へ ともに歩む

毎日新聞

知的障害者陸上の日本選手権男子走り幅跳びで優勝した小久保寛太=埼玉県熊谷市の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で2019年6月2日、手塚耕一郎撮影

Passion

走り幅跳び転向で日本記録樹立 知的障害者陸上の小久保寛太

 支援学校の砂場で練習を重ね、2020年東京パラリンピックを狙える力をつけてきた。知的障害者陸上の男子走り幅跳びで、20歳の小久保寛太(かつみ会)は昨秋に日本新記録を樹立。得意の200メートルはパラリンピックで実施されないために3年前から走り幅跳びに転向し、周囲も驚く成長を見せている。

    知的障害者陸上の日本選手権男子走り幅跳びで優勝し、表彰式で笑顔を見せる小久保寛太=埼玉県熊谷市の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場で2019年6月2日、手塚耕一郎撮影

     小久保は昨年10月のジャカルタ・アジアパラ大会で6メートル79の日本新記録をマーク。16年リオデジャネイロ・パラリンピック代表の山口光男の記録を2センチ更新した。追われる立場となった今季も、安定した力を発揮している。6月2日、埼玉県の熊谷スポーツ文化公園陸上競技場での知的障害者陸上の日本選手権。右手を挙げて力強く助走のスタートを切ると、1回目に6メートル65の大会タイ記録を出した。その後は「着地で我慢できず、背中がついてしまった」と記録を伸ばせなかったが、堂々の優勝だった。

     同県深谷市出身の小久保は、計算や漢字が苦手な先天的な障害がある。足は速くて中学は陸上部に所属した。転機が訪れたのは、同県立本庄特別支援学校の高等部に入学した15年春。同校教諭の樋口進太郎さん(38)との出会いだった。

     日体大出身で400メートルと400メートル障害の選手だった樋口さんは、支援学校の体育教育に長く携わり、陸上も指導をしてきた。小久保を最初に見た時、「走り方やスピード、体のバネの良さを感じた」と振り返る。同校に陸上部はなかったため、小久保は「運動部」に所属し、さまざまなスポーツに挑戦した。バスケットボールなど他のスポーツも経験しつつ、陸上に力を注いだ。

     パラリンピックの知的障害者陸上は、400メートル、1500メートル、走り幅跳び、砲丸投げの男女計8種目で争われる。最初は400メートルを選んだものの、記録は伸びなかった。得意の200メートルのスプリント力を最大限に生かすため、3年生から走り幅跳びを始めた。

     最初は助走をせずに2歩で跳び、6歩、10歩と少しずつ助走の距離を延ばした。「小さな成功体験を重ねることが大事なので」と樋口さんは時間をかけ、じっくりと指導。そんな心配りに応え、小久保は通常の助走距離で臨んだ最初の跳躍で5メートル50を記録し、潜在能力の高さを印象づけた。

     18年春に本庄特別支援学校を卒業した小久保は現在、深谷市の社会福祉法人かつみ会で清掃の仕事をしながら練習に励む。拠点は同校小学部の児童らが日中に休み時間などで遊ぶ幅3メートル、長さ7・6メートルの砂場だ。仕事は午後4時ごろに終え、同5時過ぎから1時間半ほど汗を流す。

     以前は近隣の陸上競技場で練習したこともある。ただ、健常者も含め他選手もおり、いつ跳べばよいのか分かりづらかった。一方、母校の砂場なら夕方に使うのは小久保ぐらい。静かな環境で「OBということで学校も理解してくれる。勤務先なら私も毎日のように見られる」(樋口さん)とマイペースで練習を重ねた。

     東京パラリンピック出場には、現在8位の世界ランキングを6位以内に上げることが目標となる。今季は100メートルで11秒05と、日本記録に0秒07に迫る自己ベストを記録しており、小久保は「助走のスピードがついてきている感じはある」と手応えを語る。5月には記録が非公認の地域大会で6メートル92の好記録を出した。「7メートル、さらに7メートル20ぐらいに行けば『東京』も見えてくる」と樋口さん。底を見せない成長力で、小久保は晴れ舞台を目指している。【飯山太郎】

    飯山太郎

    毎日新聞東京本社運動部。1974年、神奈川県生まれ。98年入社。仙台支局、東京運動部、東京社会部を経て2016年10月から大相撲を担当。パラリンピックは冬季の06年トリノ、夏季の08年北京と16年リオデジャネイロの3大会を現地で取材した。長女が農業を勉強している縁で、最近はカジュアルウエアが人気の作業服・作業用品チェーン店に足しげく通う。