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日本文化をハザマで考える

第8回  物を見えなくしてしまう文化や世界の新しい見方

グレアム・グリーン

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 最近、慶応大学の佐藤元状教授に、教授の新作「グレアム・グリーン ある映画的人生」のサイン本をいただいた。佐藤教授は、いかにグリーンが映画、特にヒチコックやラング、ルノワールといった監督に情熱を持っていたか、について説得力を持って説いている。実際、1930年代後半に、グリーンは週に何本も新しい映画を見て、その徹底的な批評を書いていた。

     グリーンが映画にみいだしたアイデアは、彼の小説に反映され、それが今度は「第三の男」のような素晴らしい映画へと姿を変えた。グリーンがウエスタン(西部劇)を愛し、「第三の男」はウィーンでのウエスタンのセットで撮られたような感じがするという、鋭い指摘もある。

     グリーンは「見えない日本の紳士たち」という短編を書いている。その中では、日本人男性たちが話をしている、内容のわからない「雑音」の中で、2人のイギリス人の感情的なラブシーンが繰り広げられている。

     他の文化の人たちとその背景が時として「見えなく」なってしまうという考えは面白い。日本でもこういった例はよく見かける。私が日本のテレビを見る時、カフェで外国人たちが外国語で話していても、それは主人公たちにはほとんど無視されている、というシーンをよく見る。

     実際、日本ほど物を見えなくしてしまう文化も他にはないだろう。公衆トイレや公衆浴場を見回る人たちは、男であれ女であれ、「見えない」存在であり、ちょうど文楽で、人形を操る手は、見えないことになっているのと同じようだ。作家のアレックス・カー氏は、美しい景色を台無しにすることのある、あの醜い電線について、日本人の目にはほとんど「見えない」ことになっているのだろうと言った。

    川端康成

     川端康成が1964年から68年にかけて書いた小説、「たんぽぽ」では、精神科病院にいる若い女性が、その恋人が時として見えなくなるという症状に苦しむ。精神疾患の一種であろうが、いかにも奇妙である。が、私たちもある意味では同じような症状を経験するといえる。

     映画と文学は、私たちに新しい「見方」を示唆してくれる媒体である。しかし、それらはまた、私たちが奇妙にも見ないようにしていることも示してくれる。自分たちのすぐ近くに座っている人たちのことを「見えていない」と思うかもしれないが、それは彼らが私たちを注意深く見ていないからというわけではない。グレアム・グリーンは、いつかこれらの「見えない」日本人紳士が、彼の映画的な世界の見方について本を出版するとは思わなかっただろう、と私は思う。

    @DamianFlanagan

    ダミアン・フラナガン

    ダミアン・フラナガン(Damian Flanagan) 1969年英国生まれ。作家・評論家。ケンブリッジ大在学中の89~90年、東京と京都に留学。93~99年に神戸大で研究活動。日本文学の修士課程、博士課程を経て、2000年に博士号取得。現在、兵庫県西宮市とマンチェスターに住まいを持って著作活動している。著書に「世界文学のスーパースター夏目漱石」。

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