福島県立磐城高/8 指揮者・小林研一郎さん/下 多様な経験、音楽の礎に /福島
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小林研一郎さん=1958年度卒
作曲家を志しながら、進学校の福島県立磐城高に進んだ小林研一郎さん(79)=1958年度卒=ですが、その後歩む指揮者の道への布石ともなるさまざまな経験を高校で得たそうです。後編では「炎のマエストロ」誕生につながる学生時代を振り返ります。【乾達】
人生というのは、自分の上に乗りかかりながら、さまざまな方向を示すのです。僕の場合、街角を曲がったところにいつも女神がいて、「こっちだよ」と示唆してくれました。戦争の中での音楽との出合いに始まり、磐高に進んだお陰で音楽以外のさまざまな経験もしました。その一つ一つが、僕が音楽に取り組むエネルギーの礎になっています。
磐高では音楽ではなく、美術を学ぶクラスに割り振られました。成績は「秀」で絵の腕前もよく、音楽の表現にもつながったと思います。科目ごとに際立った生徒がいて先生とやり合い、授業はエキサイトしていました。優秀な生徒が思い思いに自分の道を探りながら、目を輝かせていました。そうしたいろいろな生き様のエキスを吸えたのが、一番の収穫でした。
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