会員限定有料記事 毎日新聞
「私も、東京五輪を目指していたのよ」。母の口から何度その言葉を聞いただろう。長野県白馬村でペンションを営む矢外治久さん(69)は小学生のころ、母節子さんからよくそう聞かされた。1964年の東京五輪ではない。40年に開催されるはずだった幻の東京五輪のことだ。
日本競泳が「水泳王国」と呼ばれている時代だった。36年のベルリン五輪で故前畑秀子さんが女子200メートル平泳ぎで優勝するなど世界をリードしていた。節子さんは水泳部の強豪だった愛知淑徳高等女学校(名古屋市、現愛知淑徳中学・高校)で頭角を現す。愛知県内の大会では得意の自由形で優勝を飾るなど40年の東京五輪の強化合宿に参加を求められるほどの有力選手だった。
日本水上競技連盟(現日本水泳連盟)が発行した当時の「水泳年鑑」。タイムをランク付けした「女子競泳十傑表」の200メートル自由形の3位のところに、旧姓の「柴田節子」の名前が残っている。
この記事は有料記事です。
残り1123文字(全文1521文字)
毎時01分更新

新型コロナウイルスの感染拡大で、東京オリンピック・パラリン…

メディア系労働組合でつくる日本マスコミ文化情報労組会議(M…

「#エア美術館」「#おうちで浮世絵」「#自宅でミュージアム…