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約3000人が犠牲となった1945年8月2日未明の富山大空襲から74年。7歳で被災し、現在神戸市東灘区に住む元美術教諭、徳永幸子さん(81)が、当時の体験を描いた絵画23枚をまとめた「MEMORY―油彩画と紙芝居」を自費出版した。作品は「人が人を殺す戦争は絶対あってはならない」と訴える。
徳永さんは当時、富山市総曲輪に両親と祖父母、弟の家族6人で暮らしていた。「男は逃げることが許されなかった」ため、空襲当夜は祖母、母、幼い弟の4人で神通川の土手を南方面に逃げ、学校の校庭にあった防空壕(ごう)で難を逃れた。
しかし、別に暮らしていた祖母、いとこ、叔父が焼夷(しょうい)弾の犠牲となり、親を亡くした友人もたくさんいたという。結婚して神戸市で美術教諭をしていたが、空襲体験に関しては「もっと自分より年上の人がするもの」と思い、他人に語ることはなかった。
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