メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

  • 政治プレミア
  • 経済プレミア
  • 医療プレミア
  • トクトクプレミア
勧酒詩選

梅と橘 望郷と懐旧の香り

沖縄産シークワーサーをさかなに一杯

[PR]

 新元号誕生の舞台となった九州・大宰府の「令和の酒宴」でちょっと不思議なのは、梅にちなんだ歌が32首もありながら(後で加えられた歌を含めると計36首)、梅の香りを詠んだ歌が一首もないことだ。筆者など、梅の花に出合うと、ついつい鼻を近づけてしまうほうだけれど。

 万葉学者、中西進氏の「万葉の秀歌」によると、「万葉で梅の香りを詠むことはない。香りをめでるのは、平安時代になってからで、奈良時代は、色彩の美しさのほうを賞美した」とのことであった。

 ただ、「橘(たちばな)の香りは万葉でも詠んでいるから、万葉人が香りを知らなかったのではなく……」とも解説されているので、万葉歌人たちが香りに鈍感だったわけではない。例えば、

橘の下吹く風の香ぐはしき筑波の山を恋ひずあらめかも

という防人(さきもり)の歌があるのだ。大意は「橘の花の下を風が香ぐわしく吹いている筑波山を恋しく思わずにいられようか」(「日本古典文学大系」より)

香りが持つ、望郷や懐旧の念を呼び起こす作用

 ところで、この防人の歌もそう言っていいと思うが、「香り」というものには、どうやら望郷や懐旧の念を呼び起こす作用があるようなのだ。五感の中でも、嗅覚に課せられた特別な役割があるのだろうか。距離的にも、時間的にも、遠くなってしまった人やことやものをいとおしむ気持ちが、香りによって、ことさらにかきたてられてしまうのである。

 平安時代に入れば、梅の香りも詠まれるようになっており、かの有名な歌が生まれた。

こち(東風)吹かばにほひおこせよ梅の花 あるじ(主)なしとて春をわす(忘)るな

 藤原時平らの讒言(ざんげん)を受け、大宰府に流される菅原道真が都の自宅で読んだ歌である(歌の表記は「新編国歌大観」収録の「拾遺和歌集」による)。

むかしの人の袖の香ぞする

 さて、ここに、香りと酒が絶妙に配置されたこれまた著名な歌がある。

五月(さつき)まつ花たちばなの香(か)をかげばむかしの人の袖の香ぞする

 「伊勢物語」の第60段である(「日本古典文学大系」より)。

 あれ、お酒はどこに?と一瞬思われた方がいるかもしれないが、この歌にある橘は、興味深いことに、酒のさかなとして登場してくるのだ。

 昔、男は宮仕えに忙しく、放っておかれることもあった奥さんは別の男に走ってしまった。後年、かの男が勅使(ちょくし)として宇佐八幡へ赴く途中、ある国で接待を受けたところ、その接待役の妻がかつての奥さんであった。男が「女あるじにかわらけとらせよ。さらずは飲まじ」と言ったので、勅使の命とあってはと、やむなく元奥さんがお酌をする。その酒のさかなが橘であり、男がそれを手に取って詠んだのがこの歌。

 昔の恋人が袖に焚(た)き染めていたのが橘の香だったなあ、というわけである。

 元奥さんは何を思ったか、この後、尼になって山に入った、とストーリーが展開する。

 今日のジェンダー的観点からすれば、いろいろ議論もありそうな一段ではあるが、香り、懐旧の情、さらには、前回この「勧酒詩選」で探索した酒器の「かわらけ」も登場して、味わい深いものが感じられる。

     ◇◆

 ところで、橘の実は酒のさかなになるのだろうか。橘は日本固有のかんきつ類といわれる。古くは「非時の香菓(ときじくのかくのこのみ)」と言われ、常世の国に産する不老不死の霊薬として重んじられたと、「日本書紀」などにも出てくる。第11代垂仁天皇が田道間守(たじまもり)に命じて求めさせた、などと。

 古代の人々にはなじみ深い果実であったと考えられるが、今日ではなかなか手に入りにくいと思う。そこで、少々調べると、沖縄の特産品、シークワーサーが結構近い種類のもののようである。

 先週、沖縄に行く機会があって、那覇の市場で買ってみた。濃い緑色で、直径3センチほど。一袋に30個ほど入っていて、350円だった。

 洗って、そのままかじってみると、皮には苦みがあり、実はすっぱめだが、レモンほどではないと思う。小粒の種がたくさん入っている。さわやかな香りは特筆されよう。泡盛などに搾って入れると、涼味が増しておいしいだろうと思う。

 沖縄産シークワーサー。家に帰って写真を撮ってみた(冒頭の写真)。懐旧の情こそ湧いてこないものの、今回出会った人たちのことなどが、しみじみと思い出された。

伊藤和史

1983年入社。岐阜支局、中部報道部、東京地方部、東京学芸部、オピニオングループなどを経て、2019年5月から東京学芸部。旧石器発掘捏造(ねつぞう)事件(2000年)以降、歴史や文化財を中心に取材

おすすめ記事
広告
毎日新聞のアカウント
ピックアップ
話題の記事

アクセスランキング

毎時01分更新

  1. やじ相手に3歳長男を投げつけ容疑 阪神ファン書類送検

  2. 韓国の見切りに日本「まさか」「困るのは…」 GSOMIA破棄

  3. ことば 軍事情報包括保護協定(GSOMIA)

  4. 「反日は一部」「少し感情的」日韓市民、一層の関係悪化を懸念 GSOMIA破棄に

  5. 米政府、異例の「失望」声明 韓国GSOMIA破棄に改善促す

編集部のオススメ記事

のマークについて

今週のおすすめ
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです