「選択肢はなかった」。ベトナム・ホーチミン(旧サイゴン)の空港に近いホテル裏で7月、ベトナム女性のマイ・ティ・サムさん(70)は険しい表情で44年前を振り返った。米国から訪れた娘リー・ニューン・ウィリアムズさん(49)が、手をつないで寄り添う。
ベトナム戦争末期の1975年4月末、米国の支援を受けた南ベトナム政府の首都サイゴンに陥落が迫っていた。サムさんは、当時5歳のリーさんと3歳の妹とここにいた。姉妹の父である米国人パイロットは3カ月前に自殺した。サムさんは、娘たちだけを米国に脱出させようと考えた。
夫の親友で同僚パイロットの指示を受け、ホテル裏口に駆けつけた。ロケット弾の砲撃音が響いていた。「米国人との間に生まれた子供を脱出させようとする母親で大混乱だった」
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1991年入社。英字新聞毎日デイリーニューズ編集部、西部本社福岡総局で警察担当記者、ロサンゼルス支局、メキシコ支局、ニューヨーク特派員を経て、2019年10月から統合デジタル取材センター。05年、長崎への原爆投下後に現地入りした米国人記者が書いたルポを60年ぶりに発見して報道し、ボーン・上田記念国際記者賞を受賞。
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