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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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広島で被爆「心の重荷として背負う」2枚ずつ絵を残した思い 30年前死亡の男性

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父・神谷一雄さんが描いた絵を前に話す小野政江さん=福岡県宮若市で2019年8月2日、矢頭智剛撮影
父・神谷一雄さんが描いた絵を前に話す小野政江さん=福岡県宮若市で2019年8月2日、矢頭智剛撮影

 原子爆弾が投下された広島市の風景を2枚ずつ計30枚の絵にした男性がいる。広島で被爆した神谷(こうや)一雄さん(1986年に61歳で死去)。同じ絵のうち1枚は広島原爆資料館に寄贈、もう1枚は「原爆を語り継いでほしい」と家族へ。「原爆の日(6日)」に広島市で開かれる平和記念式典に、福岡県の遺族代表として初参列する長女で元小学校教諭の小野政江さん(69)=福岡県宮若市=は「父の分もしっかりと祈りたい」と話す。

 神谷さんは生前、何度か政江さんに被爆体験を話していた。国鉄に入り、福岡で働いていた19歳の時に召集され、山口の部隊に配属されたが、チフスに感染。20歳だった1945年8月6日、爆心地の南約3キロにある広島第一陸軍病院江波分院で被爆した。

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