74年前のきょう、広島に原爆が投下された。多くの人命が奪われ、原爆症などの被害が今も続く。一方、被爆者の平均年齢は83歳に迫る。核による災禍の記憶を風化させない努力がますます求められる。
広島市の原爆資料館本館が今年、28年ぶりに全面改装された。実物資料を中心とした展示に変えた。
被爆者一人一人の人生に焦点を当てた。死亡時の様子や戦後の苦労を計538点の遺品や写真を使って物語る。被害の実態をより強く訴えるのが狙いだ。
肉親や本人の言葉、写真、遺品などを1カ所に集めた。見学者の想像力をかき立てる。狙いは効果を上げているようだ。
13歳の中学生の場合は、被爆時に着ていたシャツと弁当箱が展示され、一緒に「どうしてお母さんより先に死んだの」という母親の手記が紹介されている。これが胸に迫る。
「あつい、あつい」。母親に背負われていた時、背後から熱線に焼かれ大やけどをし2歳で亡くなった男児の場合は、うめくような言葉と一緒に、笑顔を見せる乳児の頃の写真と被爆時にはいていたパンツが展示されている。
戦争孤児や原爆小頭症の親子の歩みなどにも触れ、原爆が招く惨状を改めて浮き彫りにする。
被爆地は国際的な取り組みにも力を注ぐ。今年の平和宣言で広島、長崎の両市は日本政府に対し、核兵器禁止条約への署名・批准を求める文言を初めて入れる。
思いを受け止めるのは政治の役割である。国際社会はトランプ米大統領の登場以降、協調から対立の流れが止まらない。米露間の中距離核戦力(INF)全廃条約は失効し、軍拡競争の激化が懸念される。
唯一の被爆国として日本は、困難でも核廃絶の流れを作る努力を続ける必要がある。
原爆資料館を訪れる外国人が増えている。昨年度は入館者約150万人のうち3割近くを外国人が占めた。感想ノートには「被爆者の苦労を知り、今の自分たちがいかに幸せかが分かった」などと平和を願う言葉があふれる。
核を使う愚かさは見学した人々に確実に届く。政府はこの輪を広げることに努めるべきだ。