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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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母の被爆体験継承、娘が支え 平和のバトンつなぐ大阪の母娘

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母の濱恭子さん(左)の原爆体験を紹介する活動を続ける被爆2世の鳥羽洋子さん=大阪府茨木市で、加古信志撮影
母の濱恭子さん(左)の原爆体験を紹介する活動を続ける被爆2世の鳥羽洋子さん=大阪府茨木市で、加古信志撮影

 広島、長崎への米軍による原爆投下から74年。高齢の身を押して被爆体験の証言を続ける女性と、支える娘がいる。大阪府茨木市の濱恭子さん(93)と長女、鳥羽洋子さん(67)は、府内の学校に足を運び「あの日」の実相を伝え、平和のバトンをつなごうとしている。【高田房二郎】

 1945年8月6日。19歳だった濱さんは広島で被爆した。約5カ月前の大阪大空襲で焼け出され、母親と一緒に爆心地から約1・2キロの親戚宅に身を寄せていた。

 「青白い閃光(せんこう)を家の隙間(すきま)から感じた途端、家中のくぎを一気に抜いたように崩れ落ちてきた」。家の下敷きになり、全身にガラス片が刺さった姿で助け出され、炎とがれきの街をさまよい逃げた。

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【広島・長崎原爆】

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