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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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重い沈黙の74年 被爆父母の思い胸に式典初参加 世代超え体験伝える

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原爆ドームの前で言葉を詰まらせながら亡くなった母や姉について語る金本弘さん=広島市中区で2019年8月5日、山田尚弘撮影
原爆ドームの前で言葉を詰まらせながら亡くなった母や姉について語る金本弘さん=広島市中区で2019年8月5日、山田尚弘撮影

 1945年8月6日午前8時15分、米軍が投下した原爆は広島の街を焼き尽くし、瞬時に多くの人命を奪い、生き残った人たちの心身に深い傷を残した。あの日から74年。雨の降るなか、広島市中区の平和記念公園で営まれた平和記念式典には多くの遺族らが訪れ、亡き人を悼むとともに「核なき世界」の実現を誓った。

子供守るため原爆語らなかった母 思いを核廃絶に

 ずっと被爆者だと意識せずに生きてきた。平和記念式典は、政治家や市民団体が自らの主張をする場所だと思っていた。愛知県の遺族代表として初参列した名古屋市守山区の金本弘さん(74)の考えを変えたのは、2013年に被爆体験を語らないまま95歳で亡くなった母ツネ子さんだ。「どんな思いで黙っていたのか。母を苦しめた原爆と向き合いたい」と今は思う。

 生後9カ月のとき、広島で被爆したことは子供の頃から何となく知っていた。ただ当時の記憶はなく、原爆についてあまり考えたことはなかった。大学卒業後、名古屋で就職すると更に思い出す機会も減った。

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【広島・長崎原爆】

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