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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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「写して何になるか」考え押しのけ、原爆投下翌日シャッターを切った祖父 孫の写真家が思いをつなぐ

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かつて祖父の岸田貢宜さんが撮影した本通りで撮影する孫の哲平さん=広島市中区で2019年8月6日午前11時39分、山田尚弘撮影
かつて祖父の岸田貢宜さんが撮影した本通りで撮影する孫の哲平さん=広島市中区で2019年8月6日午前11時39分、山田尚弘撮影

 広島に原爆が投下された翌日、1945年8月7日。陸軍広島師団司令部の報道班員だった岸田貢宜(みつぎ)さん(当時29歳、故人)は、爆心地の東約500メートルにあった広島市内の自宅跡で原爆ドームのかすむ原子野を撮影した。それから74年を経た今年の8月6日、貢宜さんの孫で写真家の哲平さん(42)は同じ場所でカメラを構えた。「シャッターを切ればおじいちゃんとつながる」。写真を通じ、祖父の体験を伝え続けるつもりだ。【矢追健介、李英浩】

 一面のがれきからは余じんがくすぶり、背景には亡霊のように原爆ドームがたたずむ。「おじいちゃんが撮ったときは、地獄のような状況だったんだろうな」。6日、広島市中区の広島本通商店街。哲平さんは時折、パソコンに収めた貢宜さんの写真を確認しながらシャッター音を響かせた。

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