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大岡信と戦後日本

86歳で死去した詩人、大岡信氏の多面的な仕事を通し、戦後日本の文化・芸術のありようを検証します。

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大岡信と戦後日本

/16 草月アートセンター 60年代前衛芸術の実験場で

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ジョン・ケージ氏=AP
ジョン・ケージ氏=AP

 1960年6月、あの安保反対闘争の高揚のさなかに発行された小雑誌へ寄せた短文に、大岡信はある詩の一節を引いている。

 <ぼくには計画もないし/日付けもない/だれと会う約束もない//だからぼくは気のすむまで探検する/魂と都市を>

 米国のビート世代を代表する作家ジャック・ケルアック(22~69年)が前年出版した詩集『メキシコ・シティ・ブルース』から、大岡が訳したものだ。「ケルアックのジャズ・ポエム」と題する紹介文には「計242篇(へん)の<コーラス>を集めた異色の詩」とある。ビートは米国の60年代カウンターカルチャーの先駆けとなり、日本の同時代の若者文化にも影響を与えた。

 この雑誌は『SAC』4号。60年3月に創刊された草月アートセンター(略称SAC)の会報である。草月流いけばな創始者の勅使河原(てしがはら)蒼風(00~79年)が58年にオープンした草月ホール(東京・赤坂)を、「芸術文化発展のための交流の広場」とする目的で設立されたのがSACだった。

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