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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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2019夏・ちば/2 恐ろしい記憶 上野博之さん(80)=浦安市 /千葉

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原爆の被害状況などについて講演する上野博之さん=千葉市美浜区で
原爆の被害状況などについて講演する上野博之さん=千葉市美浜区で

今も語れない自身の体験

 「被爆体験を話すのは苦手なんです」。広島で被爆した浦安市の上野博之さん(80)はそう話す。当時の記憶はつらく恐ろしく、できることなら記憶の奥底に封じ込めてしまいたい。それでも「千葉の被爆者を取り上げてくれるのは、ありがたい」と、ぽつりぽつりとあの日に起こったことを語り始めた。

 国民学校1年だった上野さんは広島市の自宅から広島県安芸郡中野村(現広島市安芸区中野町)に疎開していた。1945年8月6日朝、爆心地から約11キロ離れた村内の小川で友達と遊んでいた。すると、突然、辺りが白い光に包まれ、青空に大きな雲がわき上がるのが見えた。太陽の光が反射してキラキラ輝くのがきれいで、しばらく見とれるほどだった。だが、雲は広がり続け、やがて辺りは影で覆われた。怖くなって、自宅に駆け込んだ。夕方、朝から広島市内に出かけていた父稔さんを迎えに行くため家族で最寄りの駅まで出かけたが、夜になっても稔さんが帰ってくることはなかった。

 3日後、母都子さんが稔さんの消息を探すため、上野さんら子どもたちを連れて市内に入った。実家や親戚の家を見つけ、手紙を書いては行く先々の道ばたに置いて歩いた。収容所を回り、「稔はおりませんか」と大声で呼び続けた。床に敷かれたござには大勢の患者が横たわり、異様な匂いが充満していた。上野さんは耐えられなくなり、都子さんの袖をつかんで外に出ようとせがんだ。

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【広島・長崎原爆】

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