「語り継ぐ」鹿児島の遺族代表決意 父と暮らした長崎で、自宅跡初めて訪問

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 9日の平和祈念式典に鹿児島県南さつま市から参列した木原幹雄さん(79)は、原爆に父親を奪われた。県代表としての参列は今年で2度目だが、年齢を考えても「長崎に来るのはこれで最後になるかもしれない」と思っている。父親と暮らした長崎を目に焼き付けようと、被爆後初めて自宅跡を訪れた。

 当時5歳。虫捕りに出かけようと土間に下りた直後に爆風に襲われた。爆心地からは約1.8キロ。自身の記憶はあまりないが、家族に聞いた話によると、畳は跳ね上がり、その後、自宅は全焼した。

 当時40代半ばだった父兼宝(かねたか)さんは爆心地に近い勤務先の工場で被爆。一糸まとわぬ姿で自宅に戻ってきた。全身が焼けただれながらも近隣住民の安否確認に回った。数日で意識を失い、親戚の家に身を寄せたが、10日後に死亡した。遺体は田んぼで焼かれ、遺骨はみそつぼに入れられた。

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