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東京へ ともに歩む

毎日新聞

愛用のギターを手にする藤巻亮太さん=東京都港区で、内藤絵美撮影

東京・わたし

ミュージシャン・藤巻亮太さん 五輪テーマ曲「もっと遠くへ」に込めた思い

 ロックバンド「レミオロメン」としてメジャーデビューし、「3月9日」や「粉雪」などの楽曲を世に送り出した藤巻亮太さん(39)。2008年にはオリンピックをテーマにした「もっと遠くへ」をリリースしました。「地道な努力こそが、少しでも前に進むために必要なのだ」。スポーツと音楽の共通する魅力について語りました。【柳沢亮】

     --オリンピックやパラリンピックの一番の思い出は。

     ◆04年のアテネ・オリンピックで、競泳の北島康介選手が100メートル平泳ぎで金メダルを取ったときに叫んだ「チョー気持ちいい」と、連覇した08年の北京での「何も言えねえ」ですね。金メダルを取った感動とともに記憶に残っています。こんなに短い言葉にもかかわらず、北島選手の素直な気持ちがありのまま伝わった瞬間でした。1996年にアトランタで銅メダルを取った女子マラソンの有森裕子選手の「初めて自分で自分をほめたいと思った」との名言は、4年間の血のにじむような努力が実った感情から生まれた時間の重みを感じる言葉だと想像しました。

     --北京では、民放テレビ局のテーマ曲「もっと遠くへ」をリリースしました。

     ◆当初、選手を応援できる歌を作れるか不安がありました。一瞬のレースのために4年間を懸けている選手のことが、自分に分かるのかと。やっぱり筆が止まってしまう。トップ3に入るぐらい難産の曲でした。

     あの時の曲作りはロッククライミングに似ていました。歌詞を書こうにも、どの石に手を掛けていいのかわからない。「もっと遠くへ」という曲ですが、遠くを見ているうちは石が見つからない。遠くへ行くには、一番近くの石を見つけなければならないのに、遠くばかり見ているうちに歌詞が書けなくなってしまっていたんですね。スタジオに毎日通って、ノートとにらめっこして、とても地味で地道な作業でした。しばらくしてその時間こそがもっと遠くにつながることなのだと思えてきたのです。きっと選手も同じで、輝く時間は一瞬ですが、練習は反復の積み重ね。一つ一つの地道な努力こそが、今の場所から少しでも前に進むために必要なのだ。曲を仕上げるのに半年かかりました。

     また、選手を支えるのは家族や仲間、コーチです。選手も支えられていることをしっかり自覚しています。選手は大切な存在がいるからこそ頑張ることができる。それは音楽業界を含め、どんな世界でも同じことだと思います。曲にはこうした普遍的な意味も込めました。

     --東京2020大会まで1年を切りました。ご自身と大会との関わりをどう考えますか。

     ◆私たちはスポーツを見ることで手に汗握り、涙を流し、あるいは自身を投影する。それは日本人選手だけでなく、外国の選手を見ても同じだと思います。文化や国境などさまざまな垣根を越えて心を揺さぶることは、まさしくスポーツの力だと思うんですよね。その面では音楽も共通しています。6月に「オリンピックコンサート」(日本オリンピック委員会主催)があり、日本を代表する選手たちを激励する立場として歌いました。自分自身が今後、何ができるかはご縁次第ですが、音楽に携わる者として音楽で応援したいと思います。

    丁寧に言葉を選びながら話す藤巻さん=東京都港区で、内藤絵美撮影

     --東京2020大会に期待することは何でしょうか。

     ◆僕はフットサルが好きで、2012年ごろから毎週1回、東京・千駄ケ谷のコートで練習をしていました。コートからは旧国立競技場が見えましたが、練習の度に徐々に解体され、更地になった後は新国立競技場が造られていきました。今はコートを使えなくなりましたが、解体から建設まで見ていたので、大会に携わる多くの人が成功に向けて尽力する様子を肌で感じました。世界の一流アスリートが日本に集まり、数々のドラマが生まれるのだと思います。僕自身もこの東京大会を胸に刻みたいですし、心が震えるような感動を国境という垣根を越えて多くの人と共有できるようなすばらしい時間になったらいいなと思います。

     --フットサルを通じて、国立競技場を身近に感じていらしたのですね。スポーツの魅力をどのように感じていますか。

     ◆レミオロメンを休止し、ソロ活動を始めたのが12年です。1人でスタジオに通い、曲作りに励んでは家に帰る。運動もせず頭だけ疲れて肉体が元気な時って、体のバランスが悪いんですよ。肉体も疲れさせようとわざと自転車で通ったり、電車に乗ったりしましたが、行き詰まりました。その頃、知り合いにフットサルチームを作ったらと勧められました。スタイリストさんやヘアメークさんなど仕事で付き合いのある方と始めたのですが、友人が友人を呼び、今まで付き合いのなかった方々に出会いました。仲間に出会えて、スポーツの魅力を感じました。仕事の枠を越えてさまざまな職種の人と話すと、それぞれに悩み、それぞれに輝いていることを知り、そんな仲間たちとのフットサルで自分自身の音楽活動へのモチベーションも上がりました。バンドをやっていた20代、僕の世界はメンバーとスタッフだけで完結していました。ソロになったとき、必然的に外部と関わらざるを得なくなった。フットサルを通して、30代で今まで関わりのなかった人に出会い、人とのつながりを強く感じられたのはとても大きな出来事でした。

     スポーツにはもう一つ、「自分自身の垣根を越える」という魅力があると思います。人は誰しも「ミュージシャン」や「会社員」「父親」など肩書を持って「自分はこういう者だ」と枠に収めてしまう。社会ではこうした枠の中で役割を果たすことが求められますが、その半面、息苦しさを感じることもある。スポーツにはその枠を取り払い、埋没しそうな本来の自分自身を取り戻したり、役割を演じている自分を解放したりする力があると思います。僕自身もそうでした。

     --注目する競技はありますか。

     ◆サッカーを応援したいです。久保建英選手がスペインの強豪のレアル・マドリードに所属し、安部裕葵選手もバルセロナに移籍しましたね。数年前まで現実感のなかったビッグクラブに日本の若い選手が所属し、さらにオリンピック世代ですよ。超一流のリーグを肌で知る世代が、日の丸を背負ってどこまで戦えるのか、すごく楽しみで期待しています。

     --藤巻さんは山梨県旧御坂町(現笛吹市)出身です。東京2020大会では地方も盛り上がるといいですね。

     ◆日本の良さに、最高の環境を整えようとするおもてなし精神があります。山梨を含め、各地の美しい景観や名産物、文化を知って好きになってもらう良い機会だと思います。何千キロも離れた人たちと文化交流し、盛り上がることに期待したいですね。

     今年の9月29日には野外フェス「Mt.FUJIMAKI 2019」を開きます。フェス会場は東京オリンピックの自転車ロードレースのコースに隣接する場所で、会場から望む富士山は絶景です。僕の音楽の原点は、山梨の風景で、これまで歌詞に山梨の景色や情緒を入れて曲にしてきました。38歳になった昨年、山梨に恩返しできることがないかを探す中で、良い音楽を聴いてもらう日を作りたいと考えました。県外の方には豊かな自然やおいしいワインに触れていただき、山梨を好きになって帰ってもらいたい。2年、3年と続けていきたいです。

    ふじまき・りょうた

     1980年1月生まれ、山梨県旧御坂町(現笛吹市)出身。2000年12月に小学校からの同級生3人でレミオロメンを結成。主に作詞と作曲、ボーカル、ギターを担当し、「3月9日」「粉雪」などヒット曲を世に送り出す。12年2月にレミオロメンの活動休止を発表し、ソロ活動を開始。同年、初のソロシングル「光をあつめて」、ソロアルバム「オオカミ青年」を発表した。18年10月には自身が主催する初の野外音楽フェス「Mt.FUJIMAKI」を山中湖交流プラザきららで開催。19年9月に2回目を予定する。

    柳沢亮

    毎日新聞オリンピック・パラリンピック室員。1990年埼玉県生まれ。2013年入社後、新潟支局、東京経済部を経て19年5月から現職。高校時代は野球部に所属し、本塁打数は通算1本(非公式)。草野球の試合にいつ呼ばれてもいいように定期的にグラブを磨いているが、いまだ出番はない。最近の楽しみは、相思相愛の長男と近所の児童館で遊ぶこと。