建物疎開

突然の立ち退き、憤り 戦時中、延焼防ぐため 奈良市中心部36戸に命令 /奈良

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1940年ごろに撮影された菊岡統政さんの自宅。奥に「き久や」の看板が見える=菊岡さん提供
1940年ごろに撮影された菊岡統政さんの自宅。奥に「き久や」の看板が見える=菊岡さん提供

 第二次大戦下、空襲による延焼を防ぐために家屋などを強制的に壊す「建物疎開」が日本各地で行われた。奈良市でも1945年7月15日、市中心部の下三条町などの36戸に取り壊しが命じられた。近くの警察署や電話局を事前に守るためだったとみられる。戦局が悪化する中、当時、住民らはどう受け止めたのだろうか。【塩路佳子】

 「あっという間になくなった」。当時下三条町に住んでいた菊岡統政(むねまさ)さん(88)=奈良市=はそう記憶している。自宅はぎりぎり取り壊しを免れたが、2戸隣で、祖父の代まで暮らしていた屋敷跡にあった旅館「き久や」などが取り壊された。

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