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第二次世界大戦中、岩手県出身の兵士が戦地から家族らに宛てた軍事郵便が、盛岡市中ノ橋通1の盛岡てがみ館で展示されている。終戦の日の15日には、同館の及川政己館長(60)が講演し、旧満州(現中国東北部)で従軍した父の郵便を紹介した。及川館長は「父を含む先人が、今を生きる私たちに命をつないでくれた」と話し、不戦の誓いを新たにした。【小鍜冶孝志】
展示されているのは及川館長の父、彰雄さんら兵士5人が送った計25通のはがきや手紙で、全て初公開。軍部の検閲で一部が黒塗りされたものもあり、戦時下の緊張感が伝わる。
及川館長は、現在の奥州市出身で結婚間もない父が母に「両親を頼む」「体に気をつけること」などとつづった手紙を紹介した。満州で通信兵として従軍後、シベリアに約1年数カ月抑留され、1947年に帰国した。帰国後は教員として勤務し、92年に72歳でこの世を去った。及川館長は「手紙は当時の空気をそのままよみがえらせる。手紙のやり取りが、父の生きる支えになったかもしれない」と語った。
現在の八幡平市出身で、岩手、青森両県の出身者で編成された陸軍歩兵第222連隊に所属した畠山勲さんは、インドネシア東部のビアク島で22歳の若さで戦死した。生前は盛岡市内の知人らに、近況を伝えるはがきなどを郵送していた。
この日は畠山さんのおいである康さん(69)も来館した。康さんは「手紙を読むと叔父が生きていた息遣いを感じる。二度とこのような悲劇を起こしてはいけない」としみじみと話した。
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