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語り継ぐ夏

戦場はもとより「銃後」の記憶を語れる人が少なくなる中、その実態や今の思いを尋ねた。

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学童疎開75年/下 湯浅で見守った前田さん 記憶、刻むために 苦楽ともに、思い出いっぱい /和歌山

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学童疎開を受け入れた当時から境内に残るのは、イチョウの木など、ごく限られているという=和歌山県湯浅町の福蔵寺で、最上聡撮影
学童疎開を受け入れた当時から境内に残るのは、イチョウの木など、ごく限られているという=和歌山県湯浅町の福蔵寺で、最上聡撮影

 湯浅町にある福蔵寺の近くに住む前田道治さん(83)は、町へ集団疎開してきた大阪市西成区の玉出国民学校(現・市立玉出小学校)の子どもたちと、境内で野球をして遊んだことをよく覚えている。「僕も投手をやったよ」。戦後しばらくして、前田さんは疎開経験者と再会し、思い出話に花を咲かせた。

 前田さんの家は魚屋を営み、時折、疎開中の子どもたちに魚料理を振る舞った。戦後、前田さんは大阪・黒門市場に魚を卸した。1960年ごろ、魚を運ぶトラックに湯浅の住所が書いてあったことから、疎開経験者の男性が前田さんを探し当てたことがあった。

 「懐かしい。玉出から疎開に行ったんや」。同年代の男性の言葉に、前田さんも思い出があふれ出した。ゴムまりで「三角ベース」をして寺の本堂の障子を破ったこと、かくれんぼをしていて墓石を倒しては大人に何度も怒られたこと……。2時間の再会だったが、話は尽きなかった。

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