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社説

昭和天皇の「肉声」記録 軍部増長に「反省」の重み

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 終戦後、昭和天皇が田島道治初代宮内庁長官と交わしていた約5年間のやり取りが明らかになった。

 田島元長官が個人的に記録していたもので、昭和天皇は1952年5月の独立回復式典に際し、自らのお言葉で「反省」を表明する意向を示していたが、宮内庁幹部や当時の吉田茂首相が反対し、当初の文案から削除された経緯などが分かる。

 「反省」の中身について、同年2月、昭和天皇は「軍も政府も国民もすべて下剋上(げこくじょう)とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すればわるい事がある」などと述べたという。

 元長官が残した他の記録から、昭和天皇は東京裁判のA級戦犯被告への判決(48年11月)に際し、戦争を悔恨し、国民に謝罪したい意向を持っていたことが知られている。その時は実らなかった希望を、その後も追求していたのであろうか。

 だが、明らかになった発言では、天皇から国民や他国への謝罪というより、日本人全体が軍の独走を止められなかったことを皆で「反省」しようという趣旨のように読める。

 昭和天皇は戦後30年の75年、初の訪米から帰国後、記者会見で戦争責任について問われ、「そういう言葉のアヤについては、よく分かりません」などと答えたことがある。二度と戦争を繰り返したくない決意は尊いが、天皇が「反省」を言う以上、戦争責任問題は避けて通れない。

 まして52年2月の別の日、昭和天皇は再軍備と憲法改正の必要性に言及していた。同年5月の発言には「再軍備によって旧軍閥式の再擡頭(たいとう)は絶対にいや」ともある。

 新しい象徴天皇制のあり方を模索していた時期とはいえ、昭和天皇が依然として、君主としての感覚を持ち続けていた様子がうかがわれる。

 吉田首相がお言葉に「反省」を盛り込むことに反対したのは、東京裁判の結果、政治的に決着したはずの退位論が蒸し返されるのを封じるためだったとみられる。朝鮮戦争特需で経済復興は勢いづき、世相も未来志向を求めていた。

 さまざまな思惑や力学で「反省」の表明を見送った独立回復は、その後の日本の歩みにどのような光と影をもたらしただろうか。昭和天皇がこだわった「反省」のあり方は、今なお私たち自身の問題でもある。

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