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東京へ ともに歩む

毎日新聞
アスリート交差点2020

再現力 気胸、必要な体験だった=陸上・山縣亮太

 6月末の日本選手権を気胸で欠場しましたが、体はすっかり良くなりました。7月上旬から少しずつ走り始め、今は練習の強度を上げている段階です。世界選手権(9~10月・ドーハ)の400メートルリレーのメンバー選考を行う合宿でアピールできるように調整しています。

     6月中旬、街を歩いていると急に胸が痛くなりました。3月から背中の状態が悪かったため、当初はその痛みかと思っていましたが、6月18日に気胸と診断されました。日本選手権に出られないと分かり、落ち込みました。

     2週間ほど肺に負担をかけないよう、ジョギングもできず、安静にしていました。当時、競技につながることは考えたくなかったです。

     日本選手権の場にいないことへの無力感があり、テレビ中継も見ませんでした。その中で、家族や周囲の人たちが普段通りに接してくれたことが大変ありがたかったです。

     日本選手権ではサニブラウン・ハキーム選手が大会新で勝ち、7月に小池祐貴選手が9秒98を出しました。桐生祥秀選手も含めた3人が結果を出せる要因と、今の自分に足りないものを考えました。

     私は自信がないタイプです。そのことを隠さずメディアにも答えてきました。一方、内心まで全て分かりませんが、彼らは強気な発言をよくする印象です。誰もが不安を抱えています。それでも、そこから一つ抜け出し、「自分はできる」と自らを鼓舞し、目標に向かって前向きになることも必要だと思うようになりました。

     また、背中をねじった時に痛みが出る状態が続いていました。ウエートトレーニングの姿勢が悪く、ストレスがかかっていたのだと思います。7月に入ってから理学療法士の方に体の使い方を教えていただき、自分にとっていろいろな発見がありました。

     考え方のレベルが一段階深まりましたし、新たなトレーニングでけがを治すだけでなく、ステップアップのきっかけも得られました。27歳。ベテランと呼ばれる年齢に入ってきており、今後を考えれば、必要な体験だったと前向きに考えています。(あすはサッカー・大迫敬介です)(タイトルは自筆)


     Q 印象に残っている夏の思い出は?

     A 優勝を狙った高校3年の全国高校総体の100メートルで3位に終わったことです。右隣のライバルが気になり、気持ちが横に向かってしまい、抜かれました。秋の国体で「ライバルを気にしない」と言い聞かせて優勝し、雪辱を果たしました。他のレーンを見ず、自分の走りに集中することは今も大事にしています。


     ■人物略歴

    山県亮太(やまがた・りょうた)

     広島市出身。2015年4月、セイコーホールディングス入社。16年リオデジャネイロ五輪400メートルリレー銀メダル。18年8月のジャカルタ・アジア大会は10秒00で銅メダル。