<滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>
「お墓博士」の長江曜子・聖徳大学教授と行く墓めぐりリポート。第2回は「日本の資本主義の父」と呼ばれ、まもなく1万円札のカオになる実業家、渋沢栄一(1840~1931年)にする。酷暑の中、先生と谷中霊園(東京都台東区)を歩いた。
江戸末期、いまの埼玉県深谷市の富農の家に生まれた渋沢。若いころは尊王攘夷(じょうい)論に傾倒したものの、縁あって徳川慶喜に仕える幕臣となった。慶喜の弟・昭武のパリ万博使節団に随行。西洋の近代文明に触れたのは良かったが、幕末の激動期。約2年後に帰国したのは大政奉還のあとだった。
それでも、請われて明治新政府の役人になって税制や金融制度を確立し、下野したあとも、鉄道、製糸紡績、鉱工業、海運など500社近い近代企業を創設した。実業だけではない。数々の教育・福祉施設をつくり、日本人移民増で燃え盛った米国内の「排日」の動きに心を痛め、日米民間外交の先頭に立った。
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