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東京へ ともに歩む

毎日新聞
アスリート交差点2020

真っ向勝負 やると決めたら遂げる=ソフトボール・山田恵里

 ソフトボール選手としての土台ができたのは競技を始めた高校時代でしたが、原点は小学生の時です。2人の兄の影響で、小学1年の時に野球を始めました。打つことが楽しかったですね。チームに女子は1人だけ。それでも、おままごとより男の子と走り回って遊ぶことが多かったので、普通の感覚でした。

     1度だけ、「練習に行きたくない」と言ったことがあります。両親とも子供に口出しをすることはほとんどなく、好きなことをやらせてくれましたが、その時は父が「行け」と。父は陸上選手から競輪選手となり、母も元陸上選手。2人とも勝負の世界で生きてきたから、途中で投げ出すことは許されませんでした。

     「せっかく6年間やってきたのだから続けよう」と中学でも野球部に入りました。憧れは当時、オリックスで活躍していたイチロー選手。イチローさんの本を買い、フォームも足を上げる「振り子打法」をまねて……。ただ、女子は高校で野球を続けても甲子園には出られない。そこで顧問の先生が教えてくれた選択肢がソフトボールでした。

     正直、女子のソフトボールに対し、「お遊び感覚でやっているのでは」というイメージさえありました。ただ、中学3年の時、後に進学する厚木商高の試合を見に行き、思いは一変します。スピード感も迫力もあり、選手はきびきびと動いて声もよく出ている。「ソフトボールってこんなにすごいんだ」「やりたいな」と、一瞬でひかれました。

     今年は野球を始めて30年目。この間、両親の影響で、「やると決めたら、やり遂げる」という姿勢を大事にし続けてきました。2008年の北京五輪後は五輪競技から外れたこともあり、やめようと思ったことも何度かあります。ただ、続けてきたからこそ、東京五輪という大きなチャンスをもらえたのでしょう。自分の引き際がいつなのか、五輪を終えた時にどう感じるかは、正直言って今は分かりません。まずは五輪まではソフトボールをしっかりやろうと思っています。(あすはカヌー・羽根田卓也です)(タイトルは自筆)


     Q 印象に残っている夏の思い出は?

     A 母と2人で夜行バスに乗り、1度だけ、夏の甲子園を見に行ったことがあります。中学3年だった1998年。それが、延長十七回まで続いた横浜-PL学園戦です。すごい試合でした。松坂大輔投手(現中日)だけでなく、PL学園の左翼手のファインプレーも、延長十七回の横浜の決勝2ランも覚えています。ずっと見ていたいなと感じました。

     甲子園は憧れの舞台でした。「出たいな」と思う一方で、勝負の面白さを堪能し、それに一喜一憂するスタンドの盛り上がりも印象的でした。そんな場に自分が立ちたい、応援される側に立ちたい--。死闘を見てそう感じたことが、ソフトボールでの五輪出場につながっていったと思っています。


     ■人物略歴

    やまだ・えり

     神奈川県藤沢市出身。厚木商高(神奈川)で競技を始め、2002年に日本リーグの日立に入部。走攻守そろった外野手で日本代表では主将を務める。04年アテネ五輪銅メダル、08年北京五輪金メダル。35歳。