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古墳時代後半から、朝鮮半島の文化が日本に入ってきました。日本は飛鳥時代、朝鮮半島や中国の文化を受け入れて新しい文化を創りました。墓は百済の王陵を模し、服装も百済の影響を受けています。こうして高松塚古墳やキトラ古墳(いずれも奈良県明日香村)の壁画に象徴される絵画が誕生しました。
朝鮮半島の国の中でも、百済は日本を頼って王子や皇族が滞在し、斉明天皇の王朝が多大な犠牲を払ってまで救援に向かった最恵国でした。
高松塚古墳で知り合った韓国の研究者、金元龍さんから誘われ、古代からの日本と百済などとの交流を当時の衣装を身に着けた行列で再現する「四天王寺ワッソ」を1990年の開始から手伝っています。在日韓国人の発案から生まれた祭りで、毎年11月に大阪で開催し、だんだんと市民権を得てきました。日本の中高生の参加も増えています。
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