「なんであんなものが……と思いましたよ。台風の避難みたいに、またすぐ戻るつもりだったんでしょうね」
生まれ育った沖縄県西原町で、アジア・太平洋戦争中の旧西原村役場壕(ごう)を発掘調査した時、考古学研究者の當眞嗣一(とうましいち)さん(74)は奇異に思った。役場壕は米軍来襲が迫る1944年、戸籍や土地台帳など重要書類の退避先として掘られた。その壕から出土した「あんなもの」とは、近隣から運び込まれた日常使いの陶器の数々だ。生死に関わる緊張感とはいかにも無縁の雑器類から、住民の戦争に対する認識の薄さが浮き彫りになった。
現実の西原村は翌45年にかけての沖縄戦で、住民の約47%もが亡くなった。沖縄守備隊、第32軍司令部がある首里防衛の要衝として、最激戦地の一つとなったのだ。
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