「将門の乱」(938~940年)の主人公である平将門の弟、平将平と思われる絵が描かれていたのは群馬県境に近い小鹿野町藤倉の諏訪神社本殿。同神社を共同管理する新井富士男さん(59)ら3家の祖先が江戸時代に氏神として建立し、「判じ物」技法でひそかに将平を敬慕していたようだ。なぜ諏訪神社なのか。
江戸時代の明和年間(1764~72年)に編まれた郷土誌「秩父風土記」にはこう記されている。「藤倉村、野栗明神あり。これは石間(いさま)落城、若子・女中、山中(さんちゅう)領へ忍び野栗村(現群馬県上野村)にて没す。将平の子息・女中方を野栗明神と号す。藤倉村に石間の余類残りおり、この地へも野栗明神を祭るなり」
将平一族を弔う神社を「野栗」と伝える。今も上野(現群馬県)と武蔵(現埼玉県など)の国境を流れる神流川流域には将平や将門、その係累に関わる「野栗」伝承が残っている。
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