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昨年9月の北海道胆振(いぶり)東部地震から6日で1年になった。震度6弱の揺れに見舞われた札幌市には今も大規模な地盤災害の爪痕が残る。被害が集中した一帯は1970年代以降に盛(も)り土(ど)された造成地で、地盤の緩さが被害の要因となったが、市は盛り土の存在を見落としていた。専門家はこうした「隠れ盛り土」が全国に多数存在する可能性があると警鐘を鳴らす。
重機の低音が響く中、ヘルメット姿の作業員が行き交う。札幌市中心部から南東約12キロにある清田区里塚地区。住宅街の一部はくしの歯が欠けたように取り壊され、更地になっていた。復旧工事が進むなか、斜めになったままの家や、ゆがんだ道路も残る。
市内で最も被害が大きかった里塚地区は震度5強の揺れで地中の盛り土が液状化して地滑りを起こし、地表に流出。約4万平方メートルで地盤沈下が起きた。地面は波打ち、道路が割れ、家が傾いた。市によると、ここにあった141戸のうち、40戸が全壊、22戸が大規模半壊、23戸が半壊、27戸が一部損壊した。60世帯が避難し、10世帯が転居を決めた。
「泣きながら出て行った人もいた。地震でいろんな人の人生が狂ってしまった」。今も地区に1人で暮らしている女性(57)の木造2階建て自宅は地盤沈下で傾き、壁がひび割れ一部損壊と判定された。
里塚地区は元々、谷の地形だった。市によると、被害が集中した一帯は1970年代、市内で不動産事業などを展開する「じょうてつ」が盛り土を造成。住宅を建て売りし、女性は82年に家族で入居した。盛り土は地震時に地滑りや液状化のリスクがあるが、同社から「説明はなかった」と憤る。
市は3月に市街地の復旧工事に着手。地中に薬液やセメント系の柱を入れるなどして地盤を強化し、来年度の完了を目指す。しかし、これらはあくまで地滑り防止のための補強に過ぎない。宅地の復旧には最大200万円の補助金は使えるものの、原則として費用は住民負担だ。
女性の3人の子供は独立し、夫は既に他界した。再建には数百万円かかる見通しだが「主人の残してくれた家だから」と住み続けるつもりだ。
全国にも存在か
里塚地区のように広範囲で盛り土された住宅地は「大規模盛り土造成地」と呼ばれる。地震で地滑りなどを起こす恐れがあり、国土交通省は自治体に分布マップの作製を求めている。事前に位置や危険度を把握して対策を講じるためだ。
毎日新聞の調査では、盛り土造成地は全国に少なくとも約3万カ所あり、総面積は東京都の区部に匹敵する626平方キロに上る。札幌市も2017年にマップを作製して95カ所を公表したが、同地区は抜け落ちていた。
地震後に市が調査して判明した同地区の盛り土の範囲は「谷埋め型」の要件(3000平方メートル以上)を大きく超える約4万平方メートルだった。一帯を調べた地域微動探査協会の横山芳春事務局長は「里塚地区では03年の十勝沖地震でも地盤被害があったと証言する住民もいる。規模から見ても本来ならば一番に注意しなければならない盛り土だった」と指摘する。
なぜマップから抜け落ちたのか。作製の際は、土地の等高が分かる造成前後の地形データを比較し、土が盛られた箇所を抽出する。しかし市によると、造成前の地形図の等高線が不明瞭で、同地区の谷部分を平らな場所と認識してしまい、抽出できなかったという。
国交省や市によると、同地区の盛り土は火山灰質の土を使っており、崩れやすい材質だった。毎日新聞が造成の経緯などについて、開発業者のじょうてつに尋ねたところ「既に40年以上経過し、資料が乏しく、担当者も退職したため回答が困難」とコメントした。
同地区の北西の一部は、竹中工務店が04年までに造成したが、ここもマップから抜け落ちていた。市はいったんは盛り土の可能性があるとみて抽出したものの、現地調査で「谷地形ではない」と判断し、マップ掲載を見送っていた。
札幌市内では里塚地区のほか、豊平区月寒東(つきさむひがし)などの4地区の盛り土造成地でも地盤災害が多発。マップに掲載されていた場所もあったが、マップ未掲載の造成地で深刻な被害が出たことを重くみた同市は、再調査して今年度中に新たなマップを公表する予定だ。
横山事務局長は「抽出過程で漏れたものや、3000平方メートルに満たないなど国の要件を満たさないものも含めるとマップ未掲載の隠れた盛り土は全国に多数あるとみられる。家を建てる時には極力、どんな地形だったか開発業者や古くからの住民に聞くなどして調べてほしい」と話す。【畠山哲郎】