連載

「臨界」の残像―JCO事故20年―

茨城県東海村のJCO臨界事故から20年。2人の死者を出した教訓は生かされているのか。課題を追う。

連載一覧

「臨界」の残像―JCO事故20年―

(中)変わらない原子力の現場 元作業員「放射線の怖さ 教えてもらえなかった」

  • はてなブックマーク
  • メール
  • 印刷
臨界事故後に初めて報道陣に公開された沈殿槽(奥)。事故当時、ずさんな作業がされていた=茨城県東海村のJCO東海事業所で2003年9月2日午前9時51分、近藤卓資撮影
臨界事故後に初めて報道陣に公開された沈殿槽(奥)。事故当時、ずさんな作業がされていた=茨城県東海村のJCO東海事業所で2003年9月2日午前9時51分、近藤卓資撮影

 「放射線から正しく身を守る方法について、誰かに教えてもらったことはなかった。現場ではそれが普通のことで、その怖さを理解しきれていなかった」

 九州電力玄海原発(佐賀県玄海町)で下請け作業をし、東京電力福島第1原発(福島県)では廃炉作業に携わった作業員の男性(45)=北九州市=は、自らが経験した現場を振り返った。

 2012年になって、しばらくしてからだった。玄海原発の構内で、男性は同僚と配管を固定したり、無造作に置かれていた70センチほどの大きさの切断機20機余りを解体したりする作業をした。

この記事は有料記事です。

残り1631文字(全文1878文字)

あわせて読みたい

この記事の特集・連載
すべて見る

注目の特集