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滋賀・佐和山城跡に石田三成の惣構普請跡 橋を壊し土地造成

佐和山城跡の発掘現場で見つかった橋台について説明する担当者=滋賀県彦根市で2019年9月24日午後2時10分、西村浩一撮影

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 滋賀県文化財保護協会は26日、安土桃山時代の武将、石田三成が居城とした佐和山城跡(同県彦根市)の城下町の一画から、上部が削られた「橋台」(橋の台座)が見つかったと発表した。三成が城下町を大幅に改造した「佐和山惣構御普請(そうがまえおんぶしん)」の際、橋を取り壊して土地を造成した痕跡とみられる。当時の豊臣政権での都市計画を考えるうえで、貴重な発見という。

佐和山城跡の発掘現場で、上部が壊された石積みの橋の台座について説明する担当者=滋賀県彦根市で2019年9月24日午後2時26分、西村浩一撮影

 橋台が見つかったのは、佐和山城の外堀だった現在の小野川と、内堀だった西法寺川に囲まれた東西約180メートル、南北約325メートルの城下町の一画。城下町を南北に貫く幅2・6メートルの排水溝にかかっていた橋の台座と見られ、長さ約5メートルの橋台1対が東西ののり面に石で築かれていた。

佐和山城周辺が描かれた江戸時代の「沢山古城之絵図」。中央下部の太い線が内堀を示し、右側にある内堀の外側付近が今回の発掘場所となる=彦根城博物館提供

 石は人の頭ほどの大きさで2段に重ねられており、高さは最大で約60センチあった。元々は3、4段まで積まれていたのを、上段を崩し、橋を渡していた溝を埋めたと推定される。一緒に出土した土器の特徴から、16世紀末から17世紀初めに施工されたとみられる。

 三成は1591年、豊臣家の直轄領の代官として佐和山城に派遣され、95年に北近江(現滋賀県)の領地を持つ大名に出世。翌96年、家臣の須藤通光に命じて普請を始めており、橋台はその際に崩されたという。同県長浜市の太田浩司・学芸専門監は「城主になり、多くなった家臣の生活を守るため、城下町を充実させたのでは」と推定する。

 滋賀県立大の中井均教授(日本城郭史)は「戦時には、内堀と外堀の間に造成した城下町にも兵を待機させるという軍事的な側面もあった」と指摘。秀吉が90年の「小田原攻め」で小田原城(神奈川県)に取り入れられていた惣構を知ってから、以降の城郭建築に惣構を積極的に取り入れていったとして「各地の惣構を比較研究するうえで今回は貴重な発見だ」と評価する。

 現地説明会は29日午後1時半から。事前の申し込みは不要。駐車場はなく、最寄り駅の近江鉄道鳥居本駅から徒歩約15分。問い合わせは同協会(077・548・9780)。【西村浩一】

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