メインメニューをとばして、このページの本文エリアへ

新日鉄釜石V7戦士 松尾雄治氏「平尾にも見てほしかった」復興W杯に「感無量」(スポニチ)

 東日本大震災で甚大な被害を受けた岩手県釜石市で25日、ラグビーW杯「フィジー対ウルグアイ戦」が行われ、開催招致に尽力した新日鉄釜石の“V7戦士”松尾雄治氏(65)が同市内でのパブリックビューイングに出席した。本紙の取材に「誰も開催できると思わなかったはず。感無量」と“第2の故郷”での国際試合を感慨深げに語った。

 松尾氏は釜石市民ホールで歴史的一戦を観戦。「震災直後、本当に開催できるとは誰も予想してなかったでしょ? 感無量ですよ」。このホールは、津波で流された商店街跡地に建てられたもの。松尾氏は感慨深げに会場を見渡した。

 1979年から日本選手権を7連覇した新日鉄釜石ラグビー部のレジェンド。当時のチームメートらとNPO法人「スクラム釜石」を立ち上げ、W杯の地元開催が復興につながるとして招致運動をスタートさせた。「津波でたくさんの方々が亡くなり、大被害を受けた町に国際大会を招致しようなんて何をバカなことを……と反対の声も上がっていた」と振り返る。それが前進するきっかけとなったのは、2016年10月に胆管細胞がんで亡くなった“戦友”平尾誠二さん(享年53)の発言だった。

 震災直後の2011年5月、神戸市で行われた平尾さんとのトークショー。「“(釜石でのW杯を)僕も見たい。やりましょうよ”と言ってくれた」と松尾氏は感謝する。平尾さんがけん引した神戸製鋼は新日鉄釜石と同じく7連覇を達成。レジェンド同士は気が合った。12年9月、秩父宮ラグビー場(東京都港区)での東日本大震災チャリティーマッチでも対戦し絆は深い。

 「W杯招致は被災を経験し、理論派でもあった彼の後押しがあったからこそ多くの人の賛同を得られた」と振り返り「今日の試合を彼にも見てほしかった」とつぶやいた。

 9年間を過ごした釜石市には「遠くから来た人を“おいでんせ”と温かく迎える気質がある。僕も成長させてもらった」と感謝する。そんな第二の故郷は震災で約900人もの命が失われた。「ラグビーで町が一つになれたら。これからも力になりたい」。松尾氏は恩返しの継続を誓った。

 《W杯&釜石の魅力をPR、被災女子高生「世界に感謝」》東日本大震災の被災者で、W杯や釜石の魅力をPRしてきた県立釜石高3年洞口留伊さん(18)が会見し「家も学校も流されたが、支援のおかげで生活できている。世界中に“ありがとう”と伝えたい」と話した。昨年8月のスタジアム完成イベントで、被災体験や支援への感謝の気持ちをスピーチ。「招致が決まってから町の復興が早くなった」と振り返った。

松尾 雄治(まつお・ゆうじ)1954年(昭29)1月20日生まれ、東京都出身の65歳。小学校でラグビーを始め、目黒高、明大でともに初の日本一を達成。卒業後新日鉄釜石に入社し、79年から日本選手権7連覇。主将や選手兼監督も務める。日本代表キャップ数24。85年に引退し、解説者やタレントとして活動。173センチ。(スポニチ)

おすすめ記事

毎日新聞のアカウント
毎日新聞社は、東京2020大会のオフィシャルパートナーです