大正時代は自然豊かな別荘地だった所に、日本画の巨匠、川端龍子(かわばたりゅうし)(1885~1966年)が35歳から暮らした自宅の跡が残る。向かいに建つのが美術館。晩年の龍子が建てた「自分の分身としての作品の場所」だ。
ピロティ構造の建物に入ると「会場芸術」を唱えた龍子のこだわりが分かる。明るすぎない展示室は、上から見ると「龍」の形。入って右手にある大画面の展示スペースには、ガラスがない。日本画の色彩の豊かさを直接感じられる工夫だ。左手には友人、鶴田吾郎による実物大の龍子像がある。龍子は大きな作品を残したが、意外にも身長160センチ弱と比較的小柄だった。
「作品をよりよい形で楽しんでほしい」。展示室を歩くと、亡き龍子の声が聞こえてくるようだ。木村拓也主…
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