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日本文化をハザマで考える

第12回 馬にまたがる三島由紀夫

自宅でくつろぐ三島由紀夫=1969年撮影

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 三島由紀夫の様々な写真を見る機会があり、すっかり興味をそそられた。その一つは、彼がまだ若いころ、馬にまたがっている時のものだった。

 三島が小説家として名を成し始めた1940年代の終わりから50年代初期にかけ、三島は「仮面の告白」や「禁色」のような、明らかに同性愛を描いた作品と結び付けられがちだった。しかし、夏に軽井沢の別荘地で上流階級と交わり、当時の日本では1、2を争うほど裕福な年ごろのご令嬢と交流していたという、三島のもう一つの顔は、忘れられている。

 三島は乗馬クラブに入っていた。彼が上流階級の一員として認められるようになったのは、上流階級の人たちの別荘で時間を過ごしていない時に、軽井沢の小道を馬に乗って散策していることが知られていたからでもあるだろう。

 「軽井沢組」には、脚本家の岸田國士とその娘の今日子(後に「砂の女」で主演し、三島がパーティに連れて行った時、泣きながら帰ったことがある)、吉田茂首相の息子、健一、それは美しい兼高かおる(後に日本で数々の人気番組を担当した)、板谷姉妹の諒子とあつ子、それにあの鹿島建設会長の令嬢で、三島がいろいろなデートに誘った鹿島三枝子などがいた。

 馬にまたがる三島の写真を見ていると、50年代初期の、三島の「上流社会気どり」の時期と軽井沢と東京での型破りな行為を思い出させるが、私の心にはすぐに、彼の短編「英霊の聲」(66年)にある全く違った視点が浮かぶのである。

 60年代半ば、ちょうど三島が物議を醸す政治的な方向に向かっていた時、三島はある夜、二・二六事件(1936年)で処刑された青年将校の死霊に取りつかれたと言った。天皇親政を実現しようと蜂起した青年将校である。昭和天皇は残酷にも彼らを見捨てた、と三島は感じていたが、彼らの「声」が三島に語りかけ、白馬にまたがる救世主としての天皇の姿を夢の中の一場面のように描き出した。

 「そのかなたから、白雪の一部がたちまち翼を得て飛び来たように一騎の白馬の人、いや、神なる人が疾駆してくる。白馬は首を立てて嘶き、その鼻息は白く凍り、雪を蹴立てて丘をのぼり、われらの前に、なお乱れた足掻を踏みしめて止まる。」

 しかし私は、この白馬にまたがる「神なる人」は、天皇ではなく、実は三島自身であったと感じざるを得ない。

 三島は社会の最上流階級に入り込むために馬に乗ったが、最後には彼の最後の四部作長編小説の第二巻のタイトルのように「奔馬」となった。つまり、当時の社会規範からはずれ、彼自身の心の中では理想的な、神格化した人物へと変容し、日本の歴史が残酷にも無視してしまったと三島が感じた者たちの魂へと向かって、誇り高く走って行ったのだ。

@DamianFlanagan

ダミアン・フラナガン

ダミアン・フラナガン(Damian Flanagan) 1969年英国生まれ。作家・評論家。ケンブリッジ大在学中の89~90年、東京と京都に留学。93~99年に神戸大で研究活動。日本文学の修士課程、博士課程を経て、2000年に博士号取得。現在、兵庫県西宮市とマンチェスターに住まいを持って著作活動している。著書に「世界文学のスーパースター夏目漱石」。

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