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毎日新聞

アルジェリア国内で女子選手の指導にも力を入れるサリマ・スアクリさん(写真後列中央)=サリマ・スアクリさん提供

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差別と憎悪の連鎖に苦しむアルジェリア 男女平等訴え続ける元柔道選手

 北アフリカのアルジェリアは1990年代、政府軍とイスラム原理主義勢力との内戦で約15万人の命が失われた。母国が差別と憎悪の連鎖に苦しむ中、サリマ・スアクリさん(44)はアルジェリア代表として、女子柔道が初採用された92年バルセロナから4大会連続で五輪に出場。内戦で最愛の家族を奪われ、イスラム圏の女子選手として偏見と闘った日々が、スポーツや教育を通じて男女平等の大切さを訴える原点だ。

    自らの半生をつづった著書を手に、東京五輪への期待を語るサリマ・スアクリさん=東京都内で2019年8月26日午後1時9分、田原和宏撮影

     国際柔道連盟(IJF)が8月、東京都内で開催した男女平等を考える会合。来日したスアクリさんは半生を振り返り、「私の目標は、少女たちに平等の機会を保証することです」と力を込めた。

     首都アルジェ郊外の町で、5人の兄を持つ長女として生まれたが、幼いころから男尊女卑社会の壁とぶつかった。男子は自由に外で遊べるが、女子は許されない。「なぜダメなのか理解できない」。6歳の少女は長い髪を切り、自由に外出できるよう両親に求めた。

     短髪の少女は10歳の時、兄たちと柔道を始めた。自宅から約10キロ離れた柔道場に徒歩で通ったが、女と分かると「柔道は男がするものだ」と道場から放り出された。それでも諦めず通い続けると、指導者が根負けした。兄たちは数年で柔道をやめたが、一人誰よりも強くなっていた。

     15歳で代表入りし、17歳でバルセロナ五輪に出場。当時アルジェリア選手団の女子選手は2人だったというが、陸上1500メートルでハシバ・ブールメルカが同国初の金メダルを獲得し、スアクリさんも田村(現姓・谷)亮子が銀メダルの女子柔道48キロ級で5位と健闘した。「暗黒の10年」と呼ばれた内戦期にあって、女子選手の活躍は母国に希望を与える一方で、極端に女性を差別するイスラム原理主義者の反感を買った。多くの市民が虐殺され、ジャーナリストや医師、女子選手も標的とされた。

     悲劇はスアクリさん一家も襲う。93年12月4日深夜。自宅を訪れた何者かに当時22歳だった兄サミールさんが連れ去られ、銃殺された。スアクリさんは大学の試験勉強で忙しく自宅を離れていて難を逃れたが、兄の死に責任を感じて苦しみ、死の恐怖におびえた。

    アルジェリア国内各地を訪ね、子どもたちに柔道を教えるサリマ・スアクリさん=サリマ・スアクリさん提供

     それでも柔道はやめなかった。「多くの少女や女性たちが私たちオリンピアンに希望を抱いていた」。期待に応えようと練習に励み、トップ選手が集まる2002年フランス国際の52キロ級で優勝した。アフリカ王者に12回輝いたが、唯一の心残りは五輪のメダルに届かなかったこと。「私にはメダルを取る義務があった」と悔やむ。

     08年に引退後、国連児童基金(ユニセフ)の親善大使として活動を続けるほか、国内各地を訪ねて少女らに柔道を教え、国内クラブではトップ級の女子選手を指導する。アルジェリア柔道の女子選手登録数は3889人。かつて少女が柔道をすることすら認められなかった国で、女子の競技人口は全体の1割を超えるまで増えた。

     「女子選手に対する見方も変わってきたが、重要な地位にいるのは男性ばかり。男女で力を合わせてこそ、私たちはもっと強くなれる」と話す。「史上最も男女平等に配慮した大会」を目指す20年東京五輪。その行方に注目している。【田原和宏】

    田原和宏

    毎日新聞東京本社運動部。1972年、奈良県生まれ。教職などを経て2001年入社。06年からスポーツ取材に関わり、福岡、大阪勤務を経て13年から現職。16年リオデジャネイロ五輪では体操、卓球などを担当。東京五輪取材班キャップ。スポーツクライミングなど新競技にも注目する。職業病なのか、「おかしいやろ」が口癖。