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「パラから平和考えて」 64年大会と傷痍軍人との関係調べる井上弘さん(64)

自宅の書斎で資料に向かう井上弘さん=神奈川県小田原市で2019年9月2日午後3時9分、五十嵐朋子撮影

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 1964年の東京パラリンピックには、第二次世界大戦で負傷して下半身不随になった傷痍(しょうい)軍人も出場した。いったい何人だったのか、詳しい記録は残っていない。神奈川県小田原市で郷土史の編集をしてきた元小学校教諭、井上弘さん(64)は、53人の日本代表選手のうち19人を送り出した国立箱根療養所(現・国立病院機構箱根病院)=同市=の歴史をたどってきた。【五十嵐朋子】

 <地元・小田原の戦争体験を伝える活動を40年近く続け、箱根療養所で暮らしていた傷痍軍人からも体験を聞いた>

 箱根療養所は、下半身不随になった元兵士が、家族と余生を過ごすため作られた施設です。全国で唯一、脊髄(せきずい)を損傷した元兵士を専門に診る療養所でした。私が初めて訪問した94年当時は、3人の元兵士が存命でした。

 <2015年、箱根病院から見つかったパラリンピック関連の映像が小田原市内で上映された。講演を頼まれた井上さんは、傷痍軍人が何人出場したのかを調べ始めた>

 パラリンピックについてほとんど知識がなく、ゼロから勉強しました。当時の市の広報紙を調べ、19人の出場を確認しましたが、何人が傷痍軍人かは分かりませんでした。箱根病院にも資料は残っていません。そこで、日本パラリンピック委員会がインターネットで公開している選手団名簿から、40歳以上で神奈川在住の人を探しました。終戦から19年後に開催されたので、元兵士なら40歳は超えているという計算です。該当したのは4人でした。

 <最終的に、傷痍軍人は選手宣誓した青野繁夫さん1人という結論に達した>

 青野さんのことは大会報告書に書かれています。療養所の元兵士らが発行していた文芸誌「函嶺(かんれい)」を読み返して名前を探しましたが、青野さんしか見つかりませんでした。関係者に見せてもらった寄せ書きも参考にしました。 寄せ書きには「箱根療養所傷痍軍人会」のメンバー31人の名前が記されていました。青野さん以外の出場者の名前も1人ありましたが、けがをしたのは戦後と判明しました。ただ、本当に正確なところは今となっては分かりません。

 <箱根療養所には、1945年時点で約150人の傷痍軍人と家族が暮らし、最後の1人は2008年に亡くなった。これまで先行研究がなく、パラリンピックとの関わりも注目されなかった> 当時パラリンピックは、今ほど話題に上らなかったのでしょう。療養所でも、傷痍軍人が減って一般の患者が増え、運営形態が変わる中で、忘れられてしまったのだと思います。今、再び箱根療養所が注目されていますが、傷痍軍人の存在に関心を持ってもらうきっかけになることを願っています。パラリンピックの原点は傷痍軍人のリハビリだったということを知ってほしい。戦争がなければ大けがをせずにすんだ人たちがいたことや、私たちは戦争で生き残った人たちの子孫なんだということを、多くの人に考えてほしいのです。

略歴

 井上弘(いのうえ・ひろし) 立教大・同大学院で現代史を専攻。1982年から静岡県で小学校教諭。大学院在学中の79年に現役教員らと設立した「戦時下の小田原地方を記録する会」で事務局を務め、証言集などの出版を続けている。

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