記者が働いていた新宿ゴールデン街を歩く 知られざる昭和の空間と変化の波

新宿ゴールデン街(東京都新宿区)が人気だ。狭い路地に古い木造の飲食店がひしめき合う街並みが珍しいと外国人や若者がつめかけている。私は学生時代、この街のバーでアルバイトをしていた。街が注目されるのはうれしいが、毒のない「テーマパーク」扱いには違和感もある。改めて街を歩き、観光客にあまり知られていない場所や歴史を探った。【大場伸也/統合デジタル取材センター】
活気に満ちる街
9月26日午後7時半ごろ、私とカメラマンはゴールデン街のゲートをくぐった。ラグビー・ワールドカップの開催中とあって、大きな荷物をかついだ外国人や若者であふれかえり、街じゅうが活気に満ちている。
ゴールデン街は6500平方メートルほどの区画に280軒以上の飲食店がびっしりと密集している。第二次世界大戦後の混乱期にできた闇市が起源で、路地ごとに「1番街」「3番街」といった呼び名がついている。
私が働いていたのは1990年代後半。そのころはバーやスナックしかなく、空き店舗も多かったが、今は店の数も増え、1階、2階ともほとんど埋まっている。ラーメン屋や24時間営業の店、外国人向けノーチャージ(席料無料)の店など、バリエーションも豊かになった。
青線時代の面影
まず向かったのは、1番街のバー「奥亭」。最近、5番街から移転したばかりだ。
街の歴史を語る上で、戦後の青線(非合法の売春地帯)時代には触れざるをえない。公認で売春が行われていた地域「赤線」に対し、非合法の地域は「青線」の俗称で呼ばれ、ゴールデン街もその一つだった。
街の建物は2階建てに見えるが、実はどこも3階がある。この街でバー「ナベサン」を経営し、評論家でもあった渡辺英綱の著書「新宿ゴールデン街」によると、青線時代は一般的に1階がバー、2階が経営者の住居や泊まり客の部屋など、3階が無許可で売春を行う通称「ちょい(ん)の間」だったとされる。2階で売春をするケースもあったようだ。
だが、58年に売春防止法が全面施行され、違法風俗店はすべて廃業した。現在、3階はほとんど使われていない。私もアルバイト先に3階があるのは知っていたが、足を踏み入れたことはなかった。
奥亭を経営する奥山彰彦さん(71)が76年、店を開こうと5番街の建物に入居した際は、畳敷きの部屋の真ん中が土壁で仕切られ、2組みのふとんが置き去りにされるなど、青線の面影が残されていたそうだ。
3階に足を踏み入れる
「ここから3階に上がるんです」。奥山さんが指し示したところを見ると、2階トイレの入り口付近の天井に小さな丸い穴が開いている。そこから親指を突っ込むと天井の板が外れ、人ひとりが通れる隙間(すきま)ができる。青線時代、客はここに立てかけた約75度の急なはしご段をよじ登り、3階に上がったのだという。今は当時なかった約45度の階段があり、そこから3階に上がることができる。
3階に上がると、部屋は6畳くらいで、今は物置になっている。天井が意外と高く、表通りに面して窓がある。店によっては、裏路地に降りられる細い外階段があったそうだが、奥亭にはない。奥山さんは「警察が来ると、窓から屋根伝いに別の店に逃げたらしいですよ」と言う。3階に上がりにくい構造も、警察対策だったのだろうか。
窓から外をのぞくと、街の明かりがずいぶん下に見え、喧噪(けんそう)さえ少し遠く感じる。考えてみれば、3階の高さからゴールデン街を見下ろすのは初めてだ。この静かな空間で、幾多の男女が息を潜めていたかと思うと、感慨深かった。
「文化人の街」として
街は青線廃止後、文化人の飲み屋街として生き延びた。作家の吉行淳之介、遠藤周作、芸術家の岡本太郎らが訪れ、常連だった中上健次が芥川賞、佐木隆三が直木賞をそれぞれ76年に受賞し、ゴールデン街は全国的に脚光を浴びた。近年も小説家の馳星周さんなど多くの文化人が集った。私もジャーナリストの岡留安則や歌人の俵万智さんを街で見かけたことがある。
ただ、バブル期の80年代半ばに地上げ騒動があり、店舗の立ち退きが相次いだ。92年ごろにはバブルが崩壊し、さらに客足が遠のいた。私が通っていた90年代後半には、ずいぶん文化人も減っていたようだ。
学生だった私は当時、5番街のバー「シネストーク」で働いていた。店主は30代の女性で、客層も比較的若かった。私はこの頃、店に通うヌードモデル、テレビマン、葬儀屋さん、競馬評論家らにインタビューして「この街ってのは住んでる人じゃなくて、来る人がつくってる」といった声を聞き、「街が『居住型』から『非居住型』に変容しつつある」などとリポートにまとめて、学校に提出したりしていた。
とにかく、当時は街じゅうで汚水が逆流してドブ臭く、ガス漏れも相次いでいた。空き店舗ばかりが目立ち、意欲を失い看板に電気すらつけない店も多かった。路上には…
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