水俣病関西訴訟 被害者の苦悩、今も 少額補償、履行拒否 患者ら心情語る 最高裁判決、15周年の集い 大阪 /大阪

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水俣病の認定申請を取り下げ、特別措置法での救済を選んだ苦しい心情を語る小笹恵さん(右)と、認定制度の矛盾に振り回されている坂本美代子さん=大阪市生野区で、平野美紀撮影
水俣病の認定申請を取り下げ、特別措置法での救済を選んだ苦しい心情を語る小笹恵さん(右)と、認定制度の矛盾に振り回されている坂本美代子さん=大阪市生野区で、平野美紀撮影

 水俣病関西訴訟最高裁判決(2004年)から15年たった今月、15周年の集い「改めて患者さんのお話を聴く~水俣と今」が大阪市内で開かれた。水俣病被害者を支援する「チッソ水俣病『知ろっと』の会」(大阪市)が主催した。司法と行政認定の二重基準や十分な補償の不履行など、今なお翻弄(ほんろう)される被害者の声に、約80人が耳を傾けた。【平野美紀】

 水俣病関西訴訟は、関西地方に移り住んだ被害者が、国などを相手に損害賠償を求め、1982年に提訴。最高裁は2004年、被害拡大を防止しなかった国と熊本県の行政責任を認め、それまでの認定基準より広く患者と認める判決を出した。しかし司法救済では、正式な患者認定の上限の半額以下しか補償を認められなかった。

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