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正殿内部が火元か 未明まで照明設置など作業 首里城6棟全焼

 31日午前2時40分ごろ、那覇市首里当蔵町の首里城で「煙が見える」と警備会社から119番があった。中心施設で木造3階建ての「正殿」から出火したとみられ、折からの風にあおられて広がり、正殿と「北殿」「南殿・番所」など6棟が激しく炎を上げて全焼した。「奉神門」も半焼し、計7棟の4836平方メートルを焼損した。消防車など計約50台が出動し、午後1時半に鎮火した。けが人は確認されていない。沖縄県警那覇署などは正殿内部が火元とみており、1日朝から実況見分して原因を調べる。

 沖縄県の玉城(たまき)デニー知事は31日、県庁で「琉球・沖縄が歩んできた歴史、文化の象徴、県民のアイデンティティーのよりどころだった。一刻も早い復元に向けて全力を尽くす」と再建を目指す考えを明らかにした。ただ長い年月を要するのは確実だ。

 7棟は沖縄の本土復帰20周年の1992年以降完成の復元建築。県によると、城内に絵画など県指定文化財3件があるが、火災後の状況が分からなくなっている。開催中の記念展で展示されていた伝統歌舞劇「組踊(くみおどり)」関連の工芸品などは焼失の可能性が高く、首里城を管理する沖縄美(ちゅ)ら島財団が確認を急いでいる。

 那覇署や消防などによると、正殿の防犯センサーが作動し警備員が扉を開けると中で煙が上がっていた。正殿北側で火柱も目撃された。正殿や北殿、南殿・番所にスプリンクラーはなく消防法上の設置義務もない。正殿へつながる門は夜は閉じられている。首里城では10月27日から琉球王国時代の儀式を再現する「首里城祭」が開かれており、31日午前1時半ごろまで正殿前の庭で舞台設営用の照明設置などが実施されていた。

 首里城の創建年代は不明だが最古の遺構は14世紀のものとされる。明治政府に明け渡す1879年まで琉球王国の政治や文化の中心だった。文献によると、過去にも繰り返し全焼しており、直近の4度目は1945年の沖縄戦だった。首里城跡の地下遺構は2000年に世界遺産登録された。【遠藤孝康、浅野孝仁、平川昌範】

首里城

全焼する前の正殿=那覇市で2015年10月8日、和田大典撮影

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 那覇市・首里の標高120~130メートルの丘にあり、面積約5万平方メートル。琉球王国の居城や祭礼の拠点として築城され、1879年までの約450年間、琉球王朝の中心だった。国王らの儀式の場となった正殿や王府の行政施設だった北殿などから成る。中国と日本の文化を融合した独特の建築様式や石組み技術に高い価値があるとされる。首里城公園ホームページによると、内郭(内側城郭)は15世紀初期、外郭(外側城郭)は16世紀中期に完成したが、1945年の沖縄戦を含め過去にも4度全焼した。順次復元が進められ、92年に本土復帰20周年を記念して国営公園となった。2000年に首里城跡を含む「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録。同年の「九州・沖縄サミット」では社交夕食会も開かれた。

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