先週からの続きです。毎小読者の元小学生、Aさんからの手紙がきっかけでした。
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「クラスメートにゲイの子がいます。その子も私たちも特に気にすることなく、普通に過ごしています。私はそんなクラスに居られることを幸せだと思っていました」
「しかし次の瞬間、私はとても恥ずかしくなりました。『ゲイやレズビアンの人に寛大なのは良いことだ』という考え方自体が、間違いだと思うのです。そういう人もいて、当たり前なのです」
ゲイは男性を恋愛の相手として好きになる男性のこと、レズビアンは女性を好きになる女性のことです。確かにいろんな人がいて当たり前です。でも、差別しないのはいいことだという考え方は間違っているのかな?
ゲイやレズビアンを取り巻く問題に詳しい明治大学法学部の鈴木賢教授は「Aさんの言うとおりだけど、社会の規範はまだ『そういう人もいて当たり前』にはなっていないので、そこにずれがあります」と指摘します。
「社会の規範」って難しい言葉ですが、「こうすべきだ」「こうしたらダメ」という考え方や行動のルールだと思ってください。ポイントは、このルールが「正しいとは限らない」こと、「時代によって変わる」ことです。
時代劇で、女の子に大人が「女は学校なんか行かなくていい。家の手伝いをしろ」と言う場面を見たことはありませんか。昔は「女は男に従っていればいい。だから学問は必要ない」という「規範」があったんですね。今ではとても考えられないことです。
ゲイやレズビアンについても、少し前までの「規範」では「普通ではない」でした。ところが今は、G7と呼ばれる主要7か国のうち、6か国で同性同士の結婚(同性婚)や、結婚とほぼ同じ制度が認められています。つまり規範が「いて当たり前」「結婚して当たり前」に変わった。でも、日本にはまだそうした制度はありません。
鈴木教授は「規範が完全に変わるまでは、ことさら議論をして、規範を変える努力をすべきです。規範が変われば、議論する必要性はなくなりますから、自然と話題にも上らなくなるでしょう」と言います。
今では女の子が教育を受けることは別に「すごく」もない、当たり前で話題にもなりません。でもゲイやレズビアンについては、まだそうではない。だからこそ「現実と規範のずれに苦しんでいる人がいること、それは不当なことであることを口にする必要性、意義はある」と鈴木教授は語ります。
Aさんが「私のクラスでは、ゲイの子にだれもいじわるをしない。普通にしている。でもこれって当たり前だよね」って、あえていろんな人に伝える。これはとても大事なんじゃないでしょうか。
当たり前のことが当たり前になるまでに、多くの努力が必要になる。それが社会の現実です。でもそうやって社会は変わっていく。ちょっとわくわくしませんか。【編集長・太田阿利佐】