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「万葉古道」を尋ねて

万葉の時代の暮らしを支えた「古道」。わずかな手掛かりを頼りにいにしえの道を尋ねます。

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交流・別れ・流浪/49 太子道/上 聖徳伝説と暮らしが交差 /奈良

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三宅町屏風の白山神社にある「黒駒に乗る太子像」。1930年に作られた初代は戦時中に金属供出の対象となり、現在は2代目=三宅町屏風の白山神社で、栗栖健撮影
三宅町屏風の白山神社にある「黒駒に乗る太子像」。1930年に作られた初代は戦時中に金属供出の対象となり、現在は2代目=三宅町屏風の白山神社で、栗栖健撮影

 「太子道」は、藤原京ができる694年までの約100年間、宮殿があった飛鳥と、聖徳太子(574~622年)が住み、法隆寺がある斑鳩を結ぶ。黒駒に乗り従者を連れた太子が通ったとの伝説を伴う道だ。東西南北の条里を斜めに横切り、筋違(すじかい)道とも呼ぶ。今でも三宅町屏風(びょうぶ)~田原本町宮古に直線道が残る。

 22日には斑鳩から飛鳥まで約20キロを歩く「第46回太子道をたずねる集い」(法隆寺主催)が開かれる予定で、三宅町では「第20回太子道の集い」実行委員会をつくって参加者を歓迎する。

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