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東京へ ともに歩む

毎日新聞

目標の東京オリンピックを目指し、練習を続ける猫ひろしさん=東京都渋谷区で2019年10月28日、大西岳彦撮影

東京・わたし

リオ五輪カンボジア代表の猫ひろしさん「国籍変えた僕にしかできない恩返ししたい」

 カンボジア代表として2016年リオデジャネイロオリンピックの男子マラソンに出場した「外国人」タレントの猫ひろしさん(42)。芸人とアスリートの二足のわらじで国境を越えて走り回る。国籍を変えてまでオリンピックに出場することへの批判を乗り越え、今は東京オリンピックを目標に練習を重ねる。支えてくれるカンボジアの人たちへも「猫の恩返しをしたい」と語ります。【聞き手・柳沢亮】

    リオデジャネイロ・オリンピックの男子マラソンで、リオデジャネイロ市内の名所の一つ、カンデラリア教会前を走る猫ひろしさん=リオデジャネイロで2016年8月21日、和田大典撮影

     ――オリンピックにリオ大会で初出場をしましたね。

     ◆まず驚いたのは、選手村の食堂などあちこちにスーパースターがいること。卓球代表だった福原愛さんとは写真を撮らせていただきました。福原さんには「何で選手村にいるんですか」と言われましたけど。テニスの錦織圭選手はトップアスリートなのに気さくで、好きになりそうでした(笑い)。本当にオリンピックの舞台に立つのだと緊張しましたが、僕は僕できちんと準備して本番を迎えようと心がけていました。

     ――結果は完走者140人中139位でした。

     ◆テレビに少しでも映りたかったのですが、バラエティー番組ではないからカメラは僕を追ってくれない。映るならスタート地点しかありません。多くの選手は着替え終わった順に並ぶ。だったら、スタート地点に一番早く到着するのが僕のゴールだ、くらいの意気込みですよ。誰よりも早くゼッケンを着けて一番前のセンターを陣取りました。

     スタート地点には、たった約150人しか走らないのにみんな後ろからぎゅうぎゅうに詰めてくる。僕が1列目でスタンバイしていたら、2列目で選手村で顔見知りになった北朝鮮の選手が苦しそうにしていた。「ここは平和の祭典。僕はオリンピアン」と自分に言い聞かせて1列目に手招きしたら、その選手は図々しくて、僕の隣ではなく前に入ってきた。そのせいで、テレビ放送で「猫の額」しか映りませんでした。オリンピックには友情も優しさもいらないと確信しました(笑い)。

     いざ走り出すと、100メートルだけでも世界1位を狙ってもいいんじゃないかといやらしい気持ちが出てきました。だけど、気がついたら4列目ぐらいに後退。そこで我に返りました。ここはオリンピックだと。サーッと血の気が引いて冷静になりました。今までいろんな苦難を乗り越え代表になれたことや、カンボジアの国旗を背負っていることを考え、一生懸命に走りました。ゴール後のカンボジアコールもうれしかったです。

     ――東京大会ではマラソンの開催地が酷暑を理由に札幌に決まりそうです(取材は正式決定前)。選手側から見て、札幌移転は選手ファーストだと感じますか?

     ◆選手ファーストならば、他の競技はどうなのでしょうか。マラソン同様に体への負担が大きいサッカーやテニス、トライアスロンなども札幌でやらないと選手ファーストではないと思います。東京の夏が暑いのは分かりきっていたことです。急に慌てるのではなくもっと早めの対策が大事だと思いました。ドーハの世界陸上で決めたと言われますが……。選手は走るだけですから仕方ありませんが、きちんと運営してほしい。翻弄(ほんろう)されるのは選手や支えてくださる方々です。もし自分が走れるなら、開催場所がどこであろうと楽しく一生懸命にやります。

     ――猫さんは11年に、オリンピック出場のためカンボジアに国籍を変えました。何がきっかけだったのですか?

     ◆09年、堀江貴文さんのインターネット番組の企画「猫ひろし再生計画」です。失礼なタイトルですよね。「選挙に出る」「東大を受験する」など多くの案があった中に「国籍を変えてオリンピックに出る」という案もあった。最初は冗談だと捉えていましたが、オリンピックのスタート地点に「猫魂」のTシャツを着た猫ひろしが真顔で立っている場面を想像したら面白いんじゃないかと。

     ――国籍を変えた後、12年2月の別府大分毎日マラソンでカンボジア1位の記録を出し、いったんは12年ロンドン大会のマラソン代表に選ばれました。反応はいかがでしたか。

     ◆そのときの日本での批判はすさまじかったです。インターネットや新聞、電車の中づり広告も。「オリンピックを金で買った」「カンボジア国民のことを考えろ」「ふざけるな」と。ネットはあまり見ないようにしました。きっかけは番組でしたが、練習してきっちりタイムを出し、正々堂々と戦って勝った。自分にできることは今まで通り変わらず練習をして、まじめに走ることだと考えました。カンボジアの選手たちとは一緒に練習をしていましたし、応援してくれていました。

     ――結局、国際陸上競技連盟から「参加資格を満たしていない」と判断されて出場できませんでした。それでも次のリオ大会を目指すことができたのはなぜですか。

    時折、冗談を交えて笑いをとりながらも、真剣に過去を振り返る猫ひろしさん=大西岳彦撮影

     ◆前々から「猫ひろし、出場に黄色信号」のような内容の中づり広告の見出しを見ていて、心の準備はできていました。でも、いざ連絡を受けると悔しくて、その日は芸人の後輩に自転車で伴走してもらいながら深夜に40キロ走ったんです。自転車で走りすぎた後輩は痔(じ)になって、後で怒られました(笑い)。

     ですが、マラソンで人生が変わったことが多いので、そのマラソンをやめては駄目だと思いました。それまで1日30キロを走っていましたが、31キロに増やしました。少しでも進化したいから。ここで終わるわけにもいきませんでした。毎日走ったらタイムも伸び、カンボジアでも1位を維持できたので、リオを目指したのです。カンボジア国籍を日本国籍に戻そうとは全然思いませんでした。せっかく変えたわけですし、楽しかった。「旧日本人です」と言える芸人は僕しかいない。またカンボジアの若い選手と一緒に練習できて、青春がもう1回来たみたいで貴重な時間をいただきました。

     ――サッカーや卓球など、出場を求めて国籍を変更することは珍しくありません。中東諸国が優れたアフリカ出身選手を集めるケースもあります。国籍や国の代表についてどのように考えますか?

     ◆僕が出場することでカンボジアの1枠は減るので、カンボジアの選手に批判されたら落ち込んでいたと思いますが、そもそも、カンボジアでは僕が国籍を変えたことはほとんどニュースになっていませんでした。そして僕がきちんと練習して代表を勝ち取ったことをカンボジアの選手、ライバルたちは見ていて、それで認めてくれました。競技に対してまじめに取り組んでいます。国籍変更で自分が変わるわけでも、友達や人間関係が変わるわけでもありません。

     いろんな意見があっていいと思います。きちんと制度に基づいていますし、変更しても結果を出さなければ出場できません。

     ――現在は東京大会を目指し、どんな生活をしていますか。

     ◆目安は日に30キロ走り、週に2回ほどインターバルトレーニングをしています。最近は年を感じ始めたので無理な練習はやめ、体を休めることもトレーニングだと自分に言い聞かせています。食事、休養、トレーニングのバランスが大切です。トイレも近くなったので初めて行く公園のトイレの位置もだいたい把握できます。においで分かります。猫ですから鼻が利くので。

     9月にあったマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)も、ジムの近くの神保町交差点(東京都千代田区)で観戦しました。「今日出ないの?」と観客に声を掛けられましたが、カンボジア人なので出られません。出遅れた選手もいましたが、僕はこの人たちより遅いんだなと思うとぞっとして、きちんと日々練習しようと思いました。

     東京大会は出られるかどうか分かりませんが、カンボジア代表は必ず(東京に)来るので、何かしら選手のサポートができたらと思います。

     ――芸人とアスリートの両立はうまくいっていますか?

     ◆マラソンをしていることで仕事に呼ばれることも多いので、良いことしかありません。足が速い芸人としての立ち位置を変えないようにしたいです。

     オリンピックを目指すのは、東京で一区切りつけるかもしれませんが、マラソンは好きでやっているので、世界のメジャー大会を目指すのもいいと思います。カンボジアの若い選手に練習メニュー作りをお願いされることもあるので、選択肢は広がっています。競技自体をやめるつもりはありません。ジャイアント馬場イズム。生涯現役です。

     ――今後の人生設計は。

     ◆カンボジアに国籍を変えたのは僕の特権なので、僕にしかできないことをやっていきたい。僕が家でネタの練習をしていたら、娘は「パパ、そんなことやっても誰も幸せにならないよ」と言います。はつらつとした娘です。カンボジアでは芸人活動をしていないので、東京オリンピックが終わったらクメール語でテレビに挑戦してみたいです。

     また、リオに出場した後にカンボジアのサウナに行ったら、いつもは冷たかった受付のお兄ちゃんが「テレビ見たよ」と言ってペットボトルの水をくれたり、仲の良い洗濯屋のおじさんは洗濯代をタダにしてくれたりしました。カンボジアが好きです。「猫の恩返し」ができるよう猫まっしぐらに走ります。

    ねこ・ひろし

    1977年8月生まれ、千葉県市原市出身。本名は滝崎邦明。目白大卒業後、フリーでの活動などを経て芸能事務所「ワハハ本舗」に所属。持ちネタは「ニャー」「ラッセラー」などがある。初マラソンの2008年東京マラソンは3時間48分57秒。11年11月に国籍を変更。16年のリオデジャネイロ大会男子マラソンに初出場を果たし、2時間45分55秒。完走者140人中139位だった。自己ベストは15年東京マラソンで出した2時間27分52秒。身長147センチ、体重46キロ。

    柳沢亮

    毎日新聞オリンピック・パラリンピック室員。1990年埼玉県生まれ。2013年入社後、新潟支局、東京経済部を経て19年5月から現職。高校時代は野球部に所属し、本塁打数は通算1本(非公式)。草野球の試合にいつ呼ばれてもいいように定期的にグラブを磨いているが、いまだ出番はない。最近の楽しみは、相思相愛の長男と近所の児童館で遊ぶこと。