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浦賀奉行所「カマド跡」確認 遺構や遺物も多数見つかる 神奈川・横須賀

異国船対応という浦賀奉行所ならではの役割を痕跡としてとどめるカマド跡=2019年11月9日、神奈川県横須賀市西浦賀の奉行所跡地で岩崎信道撮影

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 来年、開設300年となる浦賀奉行所。奉行所跡地で行われていた神奈川県横須賀市教委による発掘調査がほぼ終わり、異国船警備担当者への炊き出しに使ったカマド跡などが確認された。また、奉行所廃止後に建てられた浦賀船渠(せんきょ)工員宿舎と住友重工社宅の遺構や遺物も数多く見つかり、江戸から昭和にかけた時代の流れを感じさせる成果となった。【岩崎信道】

 浦賀奉行所は享保5(1720)年に下田から移転、開設された。異国船が来航し始めた江戸時代後期には海防の最前線となった。江戸湾内に入ってきた異国船を、奉行所の同心や漁民たちが乗り込んだ船が包囲、上陸を阻止した。日本人漂流民を乗せて1837年に来航した米国の商船モリソン号に対しては、奉行所近くの砲台から砲撃を行った。

 警備に当たった奉行所同心や町人らの食事は、奉行所南東側の一角に設けられた炊き出し所で賄われた。地元の回船問屋が切り盛りしていたため、同じ敷地にありながら奉行所本体とは柵で仕切られ、専用の出入り口が設けられていた。

 今回の発掘で見つかったのは安政2(1855)年以前に使われた三つのカマド。煮炊きに使った炭や灰によって、地層の一部が黒く変色していた。このカマドはその後に行われた奉行所の拡張工事に伴い、別の場所へ移されたとされる。

 奉行所跡地には昭和15(1940)年から同20(45)年ごろまで、浦賀船渠の工員宿舎が建っていた。同41(66)年には浦賀船渠の後身・浦賀重工(後の住友重工)の社宅となり、2017年12月、住友重工から横須賀市へ跡地が寄贈された。

 この時代の建物の基礎や、住人たちが使っていたとみられる遺物も数多く出土した。浦賀船渠工員宿舎の食堂で使われていたとみられる陶器の破片には、軍需工場と作ったとみられる製造番号が書かれてあった。他にも「UDC(ウラガ・ドック・カンパニー)」という英語表記の浦賀船渠のロゴ入りの茶わん、昭和20年代に発行された穴のない5円玉なども見つかっている。

 発掘調査は昨年の試掘に続き2回目。今回は昨年の約5倍、跡地総面積の約5・5%に当たる364平方メートルが対象となった。カマド跡のほか、西側の堀跡、奉行役宅の礎石などが見つかったが、期待された井戸と厠(かわや)(便所)は確認できなかった。郷土史家で横須賀開国史研究会会長の山本詔一さんは「奉行所跡地が時代に応じていろいろな使われ方をしていたことがよく分かる結果となった」と評価しつつ、「もう一度、発掘調査ができたら」と話す。山本さんによると、表門から奉行所建物まで続く石畳道など未調査部分があるという。

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