1964年の東京パラリンピックには、第二次世界大戦で負傷して下半身不随になった傷痍(しょうい)軍人も出場した。いったい何人だったのか、詳しい記録は残っていない。神奈川県小田原市で地方史の編集をしてきた元小学校教諭、井上弘さん(64)は、53人の日本代表選手のうち19人を送り出した国立箱根療養所(現・国立病院機構箱根病院)=同市=の歴史をたどってきた。【五十嵐朋子】
<地元・小田原の戦争体験を伝える活動を40年近く続け、箱根療養所で暮らしていた傷痍軍人からも体験を聞いた>
この記事は有料記事です。
残り1353文字(全文1591文字)
毎時01分更新
乳幼児健診を受けていない子どもが保護者らの虐待を受けて死亡…
世界各国・地域に独自の文化がある。情報発信を担う駐日大使や…
新型コロナウイルスの患者用病床の「供給源」として、民間病院…