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1994年から2000年にかけて「週刊少年サンデー」(小学館)で連載された体操マンガ「ガンバ!Fly high」(原作・森末慎二、作画・菊田洋之)は、世の体操少年たちを魅了した。16年リオデジャネイロ五輪の金メダリスト、内村航平選手(30)もその一人で、同作に触発されたという。作画を担当した菊田さん(51)は「まさか自分の作品の読者から金メダリストが出るなんて思わなかった」と振り返る。
「ガンバ」は体操初心者の主人公・藤巻駿が仲間やライバルと切磋琢磨(せっさたくま)しながら成長し、五輪で金メダルを獲得するまでの物語だ。84年ロサンゼルス五輪体操金メダリストの森末さんが、体操競技を盛り上げようと、編集部に企画を持ち込んだ。タッグを組むことになったのが、菊田さんだった。
「最初は体操が題材と聞いて困惑しました。『そんなんで人気が出るの?』というのが正直なところでした」
競技色が強すぎると、読者がついて来ないのではないか--。そう考えた菊田さんはギャグタッチを強めた形で連載をスタートさせた。しかし、読者アンケートの結果はいまひとつ。人気に火が付いたのは、主人公たちが試合で活躍し始めたあたりだった。
「読者にとっては体操という題材が新鮮だったのでしょう。逆に競技に熱狂してくれた。特に駿たちが必死に練習した技を繰り出すところや、協力して団体戦での勝利を狙うところが受けました」
作画では苦労の連続だったという。採点的に理想的なポーズで描くと、マンガ的には迫力に欠ける。かといってマンガ的な表現に傾き過ぎれば、競技の上では減点の対象になってしまう。そんなジレンマと闘いながら日々ペンを走らせた。
作品はアニメ化もされ、「全国の体操教室でコミックをおいていない所はない」と言われるほどの人気を博した。コミックをむさぼり読んだ体操少年の一人が内村選手だ。
「08年北京五輪の後だったでしょうか。内村選手がガンバのファンだと話しているのを人づてに聞いて、うれしかったですね。大一番にも動じない内村選手を見て、駿みたいな選手だな、と思っていたところでした」
主人公には「演技をしている他の選手の視界が見える」という特異な才能が設定されていたが、内村選手はこうした描写に触発され、空間認識能力に磨きをかけたとされる。
12年ロンドン五輪のころに初対面を果たし、以後、交流を深めた。そして18年、今度は内村選手を監修に迎えて、新作の体操マンガ「THE SHOWMAN」の連載が週刊少年サンデーS増刊でスタートした。
「内村選手とは月に1度、打ち合わせをします。ストーリー展開を考えたり、あらかじめ送っておいたネーム(粗原稿)をもとにアドバイスをもらったりします。抱え込み宙返りのシーンなんかで『手の位置が違いますね』といった具合です」
新作では内村選手をモデルにした「キング」というキャラクターも登場。主人公たちを20年東京五輪に導く重要な役どころを演じている。
「当時は連載の締め切りに追われて、一生懸命描いていただけですが、今から思えば、内村選手に読んでもらうために描いていたのかな、という気がしています。運命だったのかな、なんて。新作を通じて、また若い人に体操の魅力が伝えられたらいいですね」
「ガンバ! Fly high」の連載が始まった1994年は、首相が3人も入れ替わるなど政治が混迷した時代だった。バブル崩壊後の不況も続いていたせいか、テレビドラマ「家なき子」の「同情するならカネをくれ」が流行語となった。
マンガ界では1982年からアニメ雑誌「アニメージュ」(徳間書店)で連載が続いていた宮崎駿さんの「風の谷のナウシカ」が完結。兵庫県宝塚市では「市立手塚治虫記念館」が開館した。また93年12月から1年以上にわたり、「ドランゴンボール」や「Dr.スランプ」の作者、鳥山明さんの展覧会が全国を巡回し、マンガのアート的な側面に光が当てられるようになった。
スポーツ界ではプロ野球でイチロー選手がシーズン200本安打を達成し、社会現象を巻き起こした。開幕2年目を迎えたサッカーのJリーグも盛り上がりを見せたが、米国で開催されたワールドカップ(W杯)に日本代表は出場していなかった。日本がW杯常連となるのは、少し先のことだ。【川崎桂吾】
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