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特集ワイド

「ダッハウ」は過去か--独・収容所跡で考える 死者は警告する

ドイツ・ダッハウ強制収容所跡

 ナチス・ドイツによる最も初期の強制収容所とされる「ダッハウ」跡地を、東京女子大准教授(歴史学)で現アウクスブルク大客員研究員、柳原伸洋さん(42)と訪ねた。恐怖と憎悪で人心を操ったナチス政治は過去のものなのか。すべての強制収容所のモデルとなり、アウシュビッツの「土台」にもなったこの地で、考えたいことがあった。【鈴木美穂】

 10月28日午前。ミュンヘン中心部から電車とバスを乗り継ぎ1時間。ダッハウ上空には雨雲が垂れこめていた。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれた門扉をくぐる。傍らで柳原さんがつぶやいた。「今日のように陰鬱な日はもちろん、晴天や満天の星の下でもここでは虐待や殺害が続きました」

 第一次世界大戦時の火薬工場跡にダッハウが開所されたのは1933年3月。国民社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)を率いるヒトラーの政権掌握からわずか2カ月後のことだ。記者会見でこれを発表したのは、ヒトラーの護衛隊として発足し、ナチ党の警察的機能も果たすようになり、強制収容所の管理運営にあたった親衛隊(SS)の全国指導者ヒムラー。「ナチスの恐怖政治と強制収容所がいかに不可分だったかを物語っています」と柳原さん。SSの訓練所、いわば「暴力の学校」もダッハウ強制収容所に隣接して置かれた。

 ダッハウで編み出された管理システムは「収容所規則」として、人(人事)を介して各強制収容所に伝えられた。強制収容所は第二次大戦中に1000を超えた。ダッハウは政治犯の収容を目的としたが、戦争が進むと捕虜やユダヤ人らが急増。柳原さんは「ナチスが欧州に根付いていた『反ユダヤ主義』を政治利用したように、SSも収容者の差別感情を刺激し、人種などで階層化し統治した」と言う。

 後のアウシュビッツ収容所長で戦後、絞首刑になったヘスも34~3…

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