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常夏通信

その19 74年目の東京大空襲(6) 大日本帝国 蜃気楼の終戦構想

日独伊三国同盟調印祝賀会であいさつする松岡洋右外相(中央)=東京・帝国ホテルで1940年10月7日撮影

 「戦争で国民全体が何らかの被害に遭った。だから、みんなで我慢しなければならない。日本国憲法は、国が戦争被害者に補償することを想定していない」。「戦争被害受忍論」(受忍論)とは、要するにそういう理屈だ。前回見たように、戦争によって在外財産を失った人たちが国に補償を求めて闘った裁判で、1968年に最高裁が示したものだ。

 東京と大阪、名古屋などの空襲被害者や「戦犯」とされた人、ソ連に抑留された人たち……。国に賠償を求めた人たちの訴えに対し、この受忍論は高く厚い壁となった。被告となった国と裁判所は、この「法理」を、それさえ出せばすべて片が付く、水戸黄門の印籠(いんろう)のようにふりかざした。テレビドラマで知られる黄門さまの漫遊はフィクションだが、受忍論は現実として戦争被害者たちを苦しめた。重要な史実である。しかし、あまり知られていない。

 重要だけれどもさほど知られていないことといえば、大日本帝国がどうやって戦争を終わらせようとしていたか、ということも同様である。

 帝国の為政者たちが、アメリカなどとの戦争をするかしないかを決めようとしていた41年秋、4年前に始まった中国との戦争は泥沼化しており、停戦の見込みすらなかった。この上、帝国より国力ではるかに勝る米、さらに英とまで戦うとなれば典型的な二正面作戦となる。それでも戦争に踏み切るからには、そうとうの勝算、戦争終結構想があったのだろう、と後世の人たちは考えるだろう。

 国力で格段に勝るアメリカを降伏させることはできない。好戦的な帝国陸軍首脳もそのことは分かっていた。海軍も同様である。目指すゴールは講和、だった。至極当然ではある。問題は、ゴ…

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栗原俊雄

1967年生まれ、東京都板橋区出身。早稲田大学政治経済学部卒、同大学院修士課程修了(日本政治史)。96年入社。2003年から学芸部。担当は論壇、日本近現代史。著書に「戦艦大和 生還者たちの証言から」「シベリア抑留 未完の悲劇」「勲章 知られざる素顔」(いずれも岩波新書)、「特攻 戦争と日本人」(中公新書)、「シベリア抑留 最後の帰還者」(角川新書)、「戦後補償裁判」(NHK新書)、「『昭和天皇実録』と戦争」(山川出版社)など。

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